「所長のこらむ」平成29年

このページは、松永会計事務所新聞の「所長のダンディコラム」を掲載しています。

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平成29年

【 時 代(決算書の信頼性)Ⅳ】H29.12

 半年間の浪人期間。 お役所勤めの垢落としと、これから始まる松永会計事務所の在り方を考えていた。当時 会計事務所の成否は税務署への対応次第とされていたが、その道を選ばず決算書、申告書の正当性を主張できる存在を思った。しかし どのような手段でこれを実現するかが考え付かない。 そんな時に二人のM君からTKCの入会の誘いを受けた。 TKCに関しては承知していた。いくら協調時代とはいえ、真正面から税務署と対峙する会計人は存在し、TKCもその一つとしてよく知られていた。税務署サイドから見れば厄介な存在と考えられていた。が、親友を信じた。
 開業 即TKC入会。 世はコンピューター時代の黎明期。慣れ親しんだ算盤からキーボードを打ち続ける作業に四苦八苦。穴をあけたテープを計算センターに持ち込む。翌日 出来上がり資料を受け取り、関与先への内容の説明・・・・そんな日々の繰り返しに追われ、己の目指すべき方向も見失いかけていた時、たまたま来静したTKC会長の飯塚毅先生と機会を得て、かねてよりの自分の思いを話させてもらった。その時に受けた多くの教えによって、以後の松永会計が形作られて行く。
 最も大きな影響を受けたのは、税理士法第33条の2(計算事項等を掲載した書面の添付)。内容は、「税理士は申告書の作成に関し、計算し、整理し、相談に応じた事項を記載した書類を申告書に添付できる(一部略)であった。 在職時代から思い続けていたことが法律として存在していたことを知り、積年の思いから解き放され、進むべき道が開けた。

【 時 代(決算書の信頼性)Ⅲ】H29.11

 60余年前。 奉職した税務署法人税部門では、申告書への信頼度が実に薄く 実地調査対応が主となっていた。 20年ほどのキャリアヲを積んだ後に審理・指導を担当した時、提出された法人税申告書のあまりに多い初歩的なミスへの対策として、企業の経理担当者向け講習会開催 を試みたところ、幸いにして評判も良く 毎回大盛況となった。 評判を知ってか、或いは同憂の思いからか。近隣の各署でも講習会が始まった。が、これが災いの元となる。 時代は信頼度の薄い申告書を間に対峙する企業と税務署。 調査主体で動く現場から 「納税者を甘やかすな!」などの声が上がり、やがては講習会にストップがかかる。 (当時と異なり 現在では納税者第一。講習会は花盛りである)
 そればかりが原因ではないが昭和54年6月、辞表を提出。 経済同友会メンバーの方の紹介で同じビルの一室を借り諸事整理に当たった後、同年11月に税理士事務所を開設した。 この間の半年、 考えたことは どのような事務所にしようか??・・・・ で、取り敢えず 税金計算用や融資導入用の決算書作りはご免で、 企業経営に役立つ仕事をしたいだった。 何人かに相談するも 趣旨には賛成してくれるが具体策の示唆はなく考えあぐねていた時、たまたま開かれた税務署同期の集まりで、久しぶりに会った年来の友人 二人のM君(既に税理士業務を開設従事)から、彼らが所属するグループへの誘いを受けた。TKCである。  二人のM君とは、熊本・名古屋を通して1年間の新人研修を共にした仲であり、心を許す仲間でもあった。 即入会。 生涯の師と仰ぐ人物と出会う。

【 時 代(決算書の信頼性)Ⅱ】H29.10

 60年前 私の税務署勤務の初期。税務署は企業から提出された申告書に対し信頼を置くことなく、全申告書に実地調査を行うのが基本となっていた。 
朝鮮戦争終結後の不景気から脱し、到来した高度成長時代に入ると 急速に増加する法人企業に調査人員が追い付かず、申告の一部に対し調査を省略する制度が始まった。 が、その切り替え時、この制度に対する現場の調査担当者の抵抗感が相当に激しいものであったことを覚えている。それまでの全ての申告書を疑って調査を行ってきたのに、その一部にせよ調査を省略せよとの命令に対する反発である。 何事にせよ 従来の制度変更には困難が伴うものである。 
 年を追って調査省略の割合は増加し現在につながるが、他方 調査という緊張感が薄くなったためか、昭和40年代半ばに入ると申告書の内容にミスが目立つようになり、その対応として審理や指導の専担者が設けられ、私もそれまでの調査専担から審理・指導を任せられることとなった。  
始めて気が付いたのだが、申告書に限らず決算内容を含めまことに初歩的なミスが多い。その都度、調査担当への連絡や会社を呼び出しての指示を重ねる中で、何とかしなければとの思いから申し出、企業の経理担当者向け講習会を認めてもらった。内容は決算書や申告書作成での誤りやすい問題点 (サンプルは手許に山ほどあった) の講習で 評判も良く毎回大盛況。やがては税務署長表彰も受けることとなった。 近隣税務署でも同種の講習会が始まったが、そのことが災いとなる。

【 時 代(決算書の信頼性)】H29.09

 60年前。税務署法人税課の新米調査官で、連日 仕事に忙殺されていた時代。企業が提出する決算書の信頼性は相当に低いものだった。 資金を借りなければならない銀行向けは利益を仮装した粉飾決算書。 逆に 税金を払いたくない税務署用は利益を削ったり見せかけ赤字とする逆粉飾決算書。配当用や社員向け、さらには親会社や取引先用等それぞれの事情に合わせた決算書の数々。 多彩を極める決算書の中で、ついには本物を見失うという笑えない話も聴かされた。 
 四半世紀のお役所勤めから現在の仕事に就いた昭和50年代半ば。 世の中の落ち着きに合わせて決算書の信頼性も徐々に回復してきたものの全面的信頼性は????  当時 決算時期に社長と会計事務所の間で取り交わされた決まり文句「もうスコ~~シ・・・どうにかならない?」「在庫を見直して節税対策しない?」 などが取り交わされた。対する松永会計の返答は勇気を込めて『どうにもなりません』。 当時 税務署での常識では、節税対策は限りなく脱税と同義語だった。
 時代は下り平成17年。 会社法制定に絡む決算関係書類の中小企業対応について、意見交換やパネルディスカッションを共にして親しくなった某銀行部長の言葉が忘れられない。「銀行では提出された決算書を信用していない。全て引き直しをしています。特に棚卸資産、売上債権、減価償却資産は大問題です。個別注記表にどう表現してくれるのですか? お判りでしょう!」。決算書の信頼性をどう作り上げるか。 それから松永会計では新たな挑戦が始まった。

【後継者問題】H29.08

 最近、コンサルタント事業者や金融機関関係から事業承継に絡むアプローチが多い。
 松永会計では、監査関係業務に限らず社内会議などを通して関与先企業と接する機会は多い。 気が付いたことがある。 全ての関与先企業に共通する課題は、後継者問題ではないかということである。 議題として取り上げたり、話題の中で触れられたり、会社側の会話の中から感じ取られたり、人材不足の嘆き、社員教育、社内コミュニケーションの悪さや風通しの問題 等々。さりげない取り上げ方であったり、冗談めかした表現だったりするが、内心的にはかなりのプレッシャーとなっているのではないか、と思う。
 有限の人の命と 永続しようとする企業の間のジレンマだが、間を繋ぐのが後継者問題となる。 経営者には資格がいらない。と、いうわけではないだろうが、ある日ある時、突然思う。 最も身近である我が子を後継者にと考える。 理由はただ一つ。俺にさえ社長が務まったのだから俺の子供にもできる。 さて、その先に何があるか。 見えてくるのは、自分ではないもう一人の自分である我が子の現実である。

【ゼムクリップ】H29.07

 一時期 経営者諸兄との話の中で よく取り上げたテーマである(記憶レベルだが十数社)。 
(当方) 「社内で通路に落ちているゼムクリップを見つけたら?」  
 (社長)『拾うさ!』が100%「拾ってどうする?」・・・・『取り敢えず 近くの机の上に置く』 『自分のデスクまで持ってくる』 『近くにいる社員に渡す』 『さあー??その他』が答。    次なる質問に移り 「どうして拾う?」『勿体ないから』 『気になる から』 『見苦しいから』 『なんとなく』等々・・・・・。 

 同じ質問を社員に向けたらどうだろうか。 試みたことはないので定かではないが、最初の質問「見つけたら?」に対する『拾うさ!』100% はないことは確か。 理由は、接触のあった会社でそこができている会社は、記憶レベルを含めお目に掛かっていないからである。   で、諸兄との話の続き。落ちているゼムクリップを拾う拾わないの違いが社長と社員との差、雇用者と被用者の差、マネジメントする者とされる者との差、さらには人を使うという意味へと進む。
 松永会計ではどうか。ご多分に漏れず多くの事業所レベルであり、根気よく拾い続けている。但し、日頃 接触する経営者と被用者である自分たちとの違いについては、折々話をする。

【為(な)せば成る、・・・】H29.06

 子供のころ、父親から聴かされた言葉だ。  武田信玄が残した至言である。 
為(な)せば成る、為(な)さねば成らぬ成る業(わざ)を、成らぬと捨つる、人のはかなさが全句。 信玄の嘆きは 今も昔も変わらない。
 何故に 父が小学低学年の私に言ったのか不明だが、職業軍人であった父は戦局の危ふさを知って語ったのだろうか・・・・今は問うことができない。
信玄の言葉には原典はある。 為(な)さざるなり。能(あた)わざるに非(あら)ざるなり(孟子「梁恵王章句」)。 できないということは、できないのではなく、やらないということだ。 が その意味だが、「人にとって、出来ないということは、出来ないと心の内で決めたときに出来なくなる」 やろうとする強い意志が持続している限り、迷いが生じても振り切り 完遂することができる。と 理解している。  関与先各社で各種の会議に参加することが多くなる中で、経営者諸兄が ことを継続すべきか否かで大いに迷うなど、意思決定に苦しむ局面にしばしば出会う。そのような時、心の中で信玄の句を唱えながら、諸兄にエールを送っている自分に気づく。
 『知足』という言葉がある。 満足を知る は処世のうえでは大切なことであるが、度を過ぎれば沈滞を招き 滅亡への道となりかねない。 人を行動に駆り立てる原動力は欲求に他ならないが、こちらも度を越せば世の指弾を受ける。 会議に投じ込まれる悩みは多種多様であるが、語り合うことが解に結びつくと信じている。

81(無限大)】H29.05

 昭和10年(1935年)生まれは当年81歳。  81に結びつく奇妙な思い出がある。   70数年前の我が家。  4歳年長の姉は小学低学年。学校から帰り次第意味不明の呪文を唱え始める。        「ニニンガシ、ニサンガロク、
ニシガハチ・・・・・・クハシチジュウニ、ククハチジュウイチ

そして「ニニンガシ、ニサンガロク・・・・」に戻る。 また 戻る。 マタマタもどる。 ご存じ「九九」の暗唱である。  そのころ数に関心を持ち始めたらしい就学前の弟。  幼稚園にも行かず暇を持て余す身には格好の暇つぶし材料。 訳も判らずに「ニニンガシ、ニサンガロク・・・・」時々母親のダメを受けながら唱え続け 何時しか完全に呪文を覚えこむ。  他方 1から100までを一息で言い切ることにも挑戦していた(らしい)ので、どうやらこの呪文が数(カズ)に関係していること。100までの数より「ニニンガシ」の方が上等な数(カズ)であるらしいと気付いたのではないか。 81(ハチジュウイチ)で終わりの呪文の方が、何故に100よりも上等なのか。とまことに理不尽にして素朴な疑問を身近にいる姉や母親にぶつけ始めた(らしい)。当然ながら 4、5歳の子供に納得させられるような答えもなく、おハチは6歳年長の次兄に回された。 始めは相手をしてくれた次兄も面倒になり、お決まりのポカリ。 最終的には10歳年上の長兄に回された(らしい)。その先はどうなったかは定かではない・・・・(以上は今は亡き母親の後日談で本人の記憶は全くない)。 
 表題のもう一つのテーマ∞(無限大)には鮮明な思い出がある。 ある日ある時。長兄の勉強部屋である四畳半の窓際に腰かけ長兄と数(カズ)の面白さに関する話をしていた。「フン坊(家庭内での呼称)。お前がこれからやれることは無限にある・・・・・」の後でマークを教えてくれた。なぜ数(カズ)の話をしていたかは不明だが、「九九」が背景となっていたのではないか、と思う。

【三種類の決算書】H29.04

 60年も前の遠い昔 昭和30年代のこと。 名古屋界隈の税務署に勤務し、法人税の調査に明け暮れていた。 法人税申告書は全件を調査する時代であり、年間の調査件数は100件を超え、加えて上席先輩諸兄の手伝いがあり、連日深夜までの勤務と休日出勤が常態となっていた。   話は長時間勤務がテーマではなく、そんな時代での納税者(会社)対税務署の攻防戦のお話。太平
洋戦争の敗戦で叩きのめされた日本。  隣国で起きた朝鮮戦争がもたらした好景気も過ぎ去り、空前と言われた大不況時代が背景。  
 当時の法人(会社)に課された税金は実効税率で70%。 1000万円の利益があれば700万円が税金(つまり現金で700万円も払わなければならない)。 利益が現金で残されているわけもなく、売掛金となり、在庫となり、土地や建物、機械などに化けている。手元に払える現金は残されていない。正直に申告していたらたちまち倒産の憂き目にあってしまう。 無い知恵が選んだのは 払える税金の第2決算書 で・・・全件調査・・・。 全部が全部ではなかろうが、決算書が信用できないが前提の調査なので、調査する側も大変。される会社も心得たもので『オミヤゲ』と称して ミエミエの間違えを準備しておく。ご丁寧に付箋を付けたり話題で誘導して気付かせる。以上はそれなりに利益のある会社。マッカッカの赤字会社は怖いもの知らずのデタラメ決算書・・・。そこで、全件調査の全件修正がスタンダードとなる。 問題なし(申告是認)の調査報告をしようものなら・・・・正面に座る鬼の係長が怒声とともに報告書を末席の新人めがけて投げ返してよこす。以上は税金の話。それでは銀行にはどう対処するか。ご心配なく・・・それなりに利益のある第3の決算書が用意されていた。 では本来(第1)の決算書は?・・・・社長の手許でヒッソリと・・・。

【月初会議】H29.03

 月の初日に開かれるR社の「月初会議」には可能な限り出席させてもらっている。 R社がそれまでの木工家具関係製造に見切りをつけ建築用部材の樹脂加工に業種転換したのを機にお付き合いが始まったのが平成24年9月。 25年3月に立ち上げた月次の経営会議の中で月初会議の存在を知り、押しかけ参加の始まりが25年8月。  月に1日の15分だが中身は濃い。
 事務所2階の殺風景な空室スペース。 会議は始業前の8時45分開始 始業時の9時には終了。 前方のボードには、前月の取引先別の売上額と当月の売上予定額。 前月に発生したクレームの概要が簡記されている。  社長以下20人に満たない全社員が参加。 社長が前月の売上内容とこれがR社に及ぼす影響の説明。次いで当月の売上予定の解説(私見・・・ここまでで1ヶ月間の働きの成果とこれから始まる1ヶ月間の仕事に対する理解を共有)。引き続きクレーム内容の解説と関係者との質疑を通して発生原因の究明(クレームの発生原因は例外なく自分勝手な思い込みにある)。最後にその他の質疑。
 以上が会議の在り方だが、参加し始めてから3年余り。感じ入るのは会議の運びが一貫していることと、社長の社員への対応である。会社にとっては不利となりかねない件についても丁寧に最後まで聞き取り、且つ真摯に答え続ける。  世の多くの社長たちが 社員の話を最後まで聞き取らず、途中から自説をまくしたてるさまを知る当方にすれば、真に新鮮な思いを持たされる。
 トップを含めド素人を集めて始まったR社の現状は如何に・・・・。 世の中そんなに甘くはないのも事実。苦戦の連続ではあったが、少しづつ技術も身につき、業界でも知られた業者からの引き合いも出始めている。積み上げた努力がどのような成果を生み出すのか期待は大きい。
 必要と思われる方々には声をかけ月初会議に参加している。関心がおありでしたらスタッフまで

【松永税理士事務所(事業承継)その後】H29.02

 昨年8月。唐突ではありますが の書き出しで、松永税理士事務所の将来を石原立野君に託する旨の報告をいたしました。 当時 何人かの方々から、即引退・・・引継ぎか? とのお尋ねがありましたが、後継者の指名であり事業の引継ぎには時間をかけて徐々に行う予定であるとの説明で了解していただきました。  
 当時(も今も)いくつかの関与先企業では事業承継に係る問題を抱えています。当事者にとっては長い間の懸案であるのですが、部外者には ある日突然噴き出す問題でもあります。 松永税理士事務所の場合も事業承継は長い間のテーマであったのですが 思いに添った者も現れず、私の中では自然消滅も止む無しと見定めておりました。しかし、石原君という人材を得たことによって懸案解決へと踏み出したのですが、皆様にご心配をおかけしたことに忸怩たる思いが残ります。
 ドラッカー的に見れば 税理士事務所も組織です。組織には それぞれ果たすべき使命があります。
 松永事務所では法的使命である〘専門家として独立した公正な立場で納税義務の適正実現〙を背景に、適正な財務情報によって企業の発展を支援する。ことを思いとして業務展開を行って参りました。  石原君を後継者と定めた主な要因は彼の中に同質の思いをみたことにあります。
 とは言っても足らざるものは多々あり、法的感覚の習得や会計知識の積上げ 関係する業界や社会への参加 人材育成など、様々な分野に挑戦してもらっています。喜々とは言わないまでも新たなる世界に立ち向かっているようです。 松永会計が変わりだすのも近いとの思いでいます。
  トコロで・・・・・おまえはどうする・・・・・
    う~~~ン 元気でゴルフ 90歳までやっていたい  デス


【今回は『ドラッカー教室』開設の動機】H29.01

 W社 N社長が唐突に口走った一言「もしドラ 知ってるか?」を契機に、平成23年8月に始まった松永会計の『ドラッカー教室』も今年で7年目に入る。毎週水曜 会議日の枠内で1時間30分程度を掛けて続けている。 テキストは ①【エッセンシャル版】マネジメント基本と原則に始まり ②経営者の条件へと進み ③現代の経営上下を昨28年12月に完了。 今年1月から新たに取り上げるテキストは ④マネジメント(課題、責任、実践)上中下となる。・・で・・ドラッカー教室開始の動機は??
 ドラッカーの言によれば、われわれの社会は、信じられないほどの短い間に組織社会になった。主な問題は、個人と家族にではなく組織の手にゆだねられた。つまりモノの生産やサービスから医療、年金、福祉、教育、環境にいたるまで主な問題は、個人と家族にではなく組織の手に委ねれれる時代となり、組織抜きでは維持できない社会へと変貌した結果、人々の大多数は組織の下で働く被用者となり、同様に松永会計のスタッフも被用者の立場にいる。
 会計事務所の顧客は事業経営者であり被用者とは違う雇用者の立場にいるので、対応する事務所スタッフは業務を行う上で被用者とは別次元である雇用者としての感覚が必要となる場面に遭遇し、戸惑っているのを目にすることが少なからずあった。 そのような時期に出会ったのが「もしドラ 知ってるか?」であり、スタッフ全員ももしドラを知っていたこともあって始まった『ドラッカー教室』である。 テキストとなる著作物はまだまだある。どこまで続く教室であろうか・・・・・終わりはまだ見えていない。
もしドラ」の正式名称は「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」というナガ~イ題名の小説(著者岩崎夏海:H19.12第1刷)。今でも書店の棚に並んでいる。


松永文宏税理士事務所は
TKC全国会会員です
TKC全国会
TKC全国会は、租税正義の実現をめざし関与先企業の永続的繁栄に奉仕するわが国最大級の職業会計人集団です。
東海税理士会所属

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松永文宏税理士事務所
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