「所長のこらむ」

このページは、松永会計事務所新聞の「所長のダンディーコラム」を掲載しています。

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なぜ、だれも予測できなかったのですか? R6.11

表題は、今朝(1024)の朝日新聞一面 天声人語欄の書き出し部分です。

リーマン・ショックから間もない2008年の秋、英国のエリザベス女王が経済学者たち(他に中央銀行幹部・経済関係官僚) に 表題の疑問を尋ねた。 が、誰も答えられなかった。 つまり 間近に迫っているはずの危機(リーマン・ショック)について、その道の専門家である彼らの中で誰一人として 気付いている者はなく 或いは 予測していた者もなく 答えることができなかった…というお話。 記事には後日譚が続く。 8ケ月後 彼ら33人は連名で反省文のような書簡を女王陛下に送った。 内容は、近くに迫っている 金融危機の予兆を見落としたのは、それぞれの「傲慢さと考えの甘さ」だったと認めて説明し、原因を縷々(ルル)記したもの。  文面の最後は「女王陛下、要するに 多くの聡明な人々が全員、システム全体のリスクを理解する想像力に欠如しておりました」と まとめている。・・・・このように記事を長々と引用したのは、松永会計事務所も創業後 40年を超え、次なる世代に引き渡すためには、時代の変化をどのように受け止め 且つ タイミングよく行動することに気を置かなければなるまい。

『兄弟姉妹』 R6.10

遠い昔、太平洋戦争の最中、帝国海軍の職業軍人であった父親の仕事柄から横須賀市に居住していた松永家では、母子家庭さながらの6人家族で暮らしていた。構成は、私を真ん中にした兄弟姉妹セットに母親を加えた6人である。父親の仕事柄 居住していた神奈川県横須賀市長浦町の我が家の子供部屋を思い浮かべた。

父親は艦上勤務が主で、国際親善のためにか、宮様方の外国訪問のお供も多く 年に数回、我が家に戻ってくるとき以外は留守を重ねる父親。 一家の憧れの存在であった次兄も陸軍士官学校に在籍中で、年に数回の帰省時以外には面会することも意に叶わず、当時としては当たり前すぎる『銃後を護る軍人一家』としての暮らしを重ねていた最中、昭和17年、旧満州国での士官学校卒業に絡む訓練中の事故によりチフスに感染し長兄は命を失う。戦況が理解できる立場にいる父は、戦時基地が集中する横須賀市の危険を思い母の実家がある焼津市への転居を行ったが、終戦(正しくは敗戦)を真近に 更に藤枝市(当時は町)郊外の瀬戸ノ谷村一ノ瀬に再転居(疎開)をする。兄は一人 横須賀市に残り留守宅を守り続けた。どこにでもいた戦時風景である。

『ホコリ被りのゴルフバック』 R6.9

 我が家の玄関口 長いこと 下駄箱の上にゴルフバックが2体 鎮座している。近時 ゴルフに用件はない暮らしを送っているのに何で?  そこは 記録が生業(なりわい)の身分。確か パソコンに記録を残してきた記憶がある……と 早速キーボードで探したら・・・・ありました。タイトルは【スコア記録】。最初の日付は昭和56101日・・・・今の仕事を始めたのは昭和5410月なので、開業後2年でのゴルフ開始となる。第1回のゴルフ場は『浜岡』スコア152。 最後の日付は令和21022日 『富嶽』スコア120とあるので 僅か4年前。 改めて記憶力の衰えを自覚させられる。

プレイの回数は最初の5年間で17回 年平均4回弱。ところが 平成5年は13回。7年は32回。間もなく週1回ペースの60回以上へと進む。ただし回数の割にはスコアは伸びず、基本3桁。時々2桁。楽しみは共にしたいとの名目から、親しい同業友人のM君を誘い込み、その頭文字を使った宮様コンペは、ネーミングが功を奏し回数を後押ししてくれた。さらには妻の陽子も仲間に入れ、ついには 海外でのプレイも取り込んでの楽しみを満喫させてもらった。最後は令和21022日 関与先のコンペへの参戦で スコアは120。 記録に残されている総回数は989回。あと少しで1000回の大台に乗るのだが・・・・あ~ア 楽しかった思い出。バックとの別れはいつになることやら・・・・   

 多分・・・・で 申し上げますが、松永会計では関与先企業の決算時に翌期(・・・既にスタートしている)もしくは 中期(3~5事業年度分)の経営計画書作成を提案し作成して、決算書類の一部として添付しています。 ところが 翌期計画書を読み上げ説明を行った・・・・その後の雑談の中で よく出てくるのですが「せっかく 計画書を作っても その通りならないから意味がないのでは・・・・」という類のお話をしばしばお聴きすることがあります。(ここからが本番です)私はそう考えません。何故なら経営者が将来に向けて こうなりたい。こんなことを実現させたい。と 思っていること 或いは願っていることが基本となって企業の成長は始まる からです。社長の その言葉によって会社は方向を定め社員をはじめとし 関係する者は行動を起こすからです。社長として発した言葉の多くは実現しないで終わる 或いはその一部分しか達成できなかった。のがほとんどです。ですが 社長の思いは社員をはじめ関係者には通じてゆきます。

極めて まれではありますが、社長の言葉通りに計画が実現したケースもあります。 が、その社長の本心は別にある・・・と 私は思っています。つまり実現できそうな計画を立てたが、その本心はもっと高めに存在している。つまり 社長は本心を隠し現実に妥協している。が私の気持ちです。

近くにある企業の成長は願いです。だから(計画は外れるから役に立つ) です。

『 読む 』 R6.7

子供の頃…小学校(正確に言えば当時は国民学校)入学前から漢字を含め 活字には相当以上に馴染んでいた。 朝早く起きて 新聞の来るのを待ち、届いた新聞(当時は・・・多分:読売新聞)を開き、自分にも読める ひらがな・カタカナ・漢字を読み上げながら、朝食をとるテーブルまで運んでいた・・・らしい。 覚えていないが、母親や兄 姉たちがそう言うのだから ・・多分 そうだったのだろう。 現状は如何?・・・・未だにそのクセは抜けず、 朝の起き抜けに玄関口に出て3種類(朝日、しずおか、日本経済)の新聞を取り込み 見出しなどを読みながら 朝の食卓

まで運び、読みながら ついでの朝食が習慣となっている。 結婚したての頃・・・ 食卓での女王様が異を唱えたが、読みながら食事を辞めた代わりに読みたい欲望から、超スピード食事に変わった為・・いつしか異議は蒸発した。以後 このパターンは幾度か繰り返されたが、間もなく我が家の朝食スタイルとして定着することとなった。

就寝時には枕元に数冊の本を積み上げて寝につくこの習慣・・・・クセか? は最近変わりだし、数冊の本から数冊の雑誌へとなってきた。 なんでそうなったのかは不明であるが、どうやら視力の衰えが原因して読んでお終いに変わりだした・・・読書姿勢に原因がありそうだ。ココロせねばなるまい。気が付けば題名も思い出せない書籍が小山をなしている。

円高 OR 円安 R6.6

本日(5月25)付 日本経済新聞 朝刊19面の「為替」欄見出しでは『円続落、1570406銭』…とあり、他にも円安に絡む記事が幾つか散見されている

現在より10年ほど前での円相場は 1ドル=75円に近い価格で 円高の弊害を語る 声が語られていた。 75円から150円になって、円安 エンヤスと言われても75円が150円になって、どうして安くなるのか……太平洋戦争終結後(正しくは敗戦後) アメリカの統治下(これも気に入らない…正しくは占領下)にあった当時は1ドル=360円に固定され、その時代を通り抜けてきた世代には、どうしてもピンとこない。

75円から150円になって、なんで安くなるのか…正しくは円高ではないのか。  この感覚が邪魔をして、その都度 1ドルを買うのに75円支払えばよかったのが150円も払わないと1ドルが手に入らない。だから、75円支払えば1ドルが買えたのに、今は150円支払わなければ1ドルが手に入らない。だから150円は75円より安い。と 何度も自分に言い聞かせないと、エンダカエンヤス論議にはついてゆけない。

ドル価格が100円近辺で上下していた数年前に、勧められてドル預金を購入した覚えがあるが、手元においても一向に値上りしなかったため、直ぐに手放した記憶がある。何事も根気よく物事を見つめ 結果を手に入れる 根気がないと、結果を手にすることは難しい。ムズカシイと言い聞かせたが、なおもムズカシイを繰り返す  己の弱さを知らされ続ける来し方であった。

『キョンボー フンボー』 R6.5

私のもっとも古い思い出話。

父親が帝国海軍のそれなりの地位に居たのに伴い、我が家は全国に点在する海軍基地を巡って引っ越しをしてきたらしい。記憶に残るのは 当時 横須賀鎮守府(…)が所在していた神奈川県横須賀市長浦町。覚えているのは、我が家の入り口に存在する桐の大木(幼心にはそう感じられた)と子供部屋から手を伸ばせば届く場所に育つ柿の樹それに裏庭に育った栗の樹。以外は記憶に薄いが、農家出身の父親は在宅すれば 丹精込めて庭の手入れを重ねる後ろ姿が記憶に残る。父親は昭和19年に病没したが、後日 母親の愚痴話によれば、久しぶりに帰ってきても、子供たちを抱き上げるより先に庭の手入れをしていたそうだ。  話が逸れ続けた。本題に戻る。海軍の街横須賀市では水兵や下士官クラスでは うっかり街中には出られない。出て 前方から自分より上級の士官が来れば 直立不動で挙手敬礼をし続けなければならない。そのような状態を思いやったのか、部下の方々が泊まれるようにと我が家には八畳間が用意されていた。食事を共にする機会も多く、膝に抱えられて食事をしている様を思い浮かべる。フンボー はその様な場での私 文宏の呼び名。キョンボーは四歳上の姉恭子のこと。その頃の私は就学前の4~5歳か?  私の酒に対する修業は当時から始まったのではないかと思う。ひとり酒のほろ酔い時に ぼんやりと思い浮かべるのは、居心地の良い方々の膝の暖かさである。

『数値記録』 R6.4

職業柄、数字には敏感だ。

枕廻りにはいつも血圧記録表が置いてある。記録内容は起床時と就寝時の血圧値上下と脈拍数。余白には毎朝の体重、最後尾には当日の歩行数。これだけの数値を書き込めるようにしている。

一枚の用紙には20日間の記録。更に医療に関するメモ。そして通院先等。これらの数値に、幾つかプラスマイナスをすることもある。

数値は一週間ごとにチェックする。

週末には、一週間の歩行数の合計。更に期間の最高脈拍数にマーク。一週間の合計脈拍数等々、気になる数値を記入した後、気になる各種数値の関連性を見るなど、記入後のひとときを楽しんでいる。

数字に敏感であるがため、当初は色々と気にして書いていた数値だ。

しかし、今では計測した数値を遊んでいるだけである。必要以上に数値に怯えたり、気を揉むこともなくなってきている。

そもそも毎日計測する習慣もなかった。健康記録など面倒な事この上ないと思っていた。それでも記録されていく数字は見ていれば面白い。目で見ても分からないことが無機質な数字に表れている。

『・・・・・  。句点』 R6.3

ずっと使ってきたのにひどいじゃないか。 句点に言葉が話せたら、そう訴えられるかもしれない。   

朝日新聞216日朝刊「天声人語」欄 にこんな書き出しで「はい。」「承知しました。」などと句点で 終わる連絡文は、怒っていると受け取られる「 。マルハラスメント」だとネットで話題になった そうである。  当該「天声人語」欄の担当者は50歳代だとのことだが、ご自分のスマホの履歴を確かめたところ、若者世代あてでも普通に句点をつけていた。 が 相手からの文には一切ない。これが世代間ギャップかとショックを受けた。 日本だけの現象なのかと気になったので(さすが:新聞記者)、欧州や東南アジア、南米の知人の知人に聞いてみた(これこそ:新聞記者)。 どうやら「句点なし」は、他言語圏にも共通する傾向のようだ、とのこと。20代の英国人女性は「メッセージの吹き出しには必要ない。送信ボタンを押すのが句点の代わりだ」と話す。冷たい、権威的、機嫌が悪いなどの印象は日本と同じ。文末は句点なしか、ダッシュ()が多いという。感嘆符()の文末も20代の彼女には好印象だが、10代には圧を感じて不評だとか。改まったメールや上司から来たメッセージの返事には「真剣さや正式な感じを出すため」に句点をつけるそうだ。 

『句読点おもしろ辞典』には高名な国語学者が、目上の人への手紙で句読点を使うと失礼になる。と 説いている。読みやすいようにと指示する行為だから…だそうである。

ここまで書いて、礼儀だとか失礼だとか、毀誉褒貶に晒される句点が気の毒になった。日々世話になっている身としては、これまで通り使わせてもらうと思う。と締めくくる。以上。

片足立ち R6.2

テレビ画面は「強烈寒波来襲 横殴りの吹雪 と題して、お正月を過ぎてから東北地方や北陸地方など日本海沿岸地域を襲っている冬将軍お出ましニュースを繰り返している。 アナウンサーに切迫した声色でいくら叫ばれても、ぬくぬくと暖かい静岡で しかも暖房のきいた室内に居ながらテレビで雪景色の画面を見ている当方にとっては、所詮は他人事。 いくら冬の寒さを語りかけられても実感を伴わないので、「そうか、そうか」でおしまいとなる。

若かりし頃・・・・今でも 十分に若いが、もう少し若かった頃の思い出話。・・・・岐阜県の中津川市というところに勤務していたことがある。 名古屋市からは長野県方向に向けて走る中央西線…当時のドンコウ=普通列車で約2時間かかる長野県との県境にある岐阜県最東端の街である。 なんでそんな場所に行くことになったのかといえば、若気の至り……当時のぼせていた……山登り から 高山市に転勤希望を出したところ、同じ岐阜県のうちだからと転勤命令が出され、上司からも高山市のある岐阜県に行けてヨカッタ良かったと激励される有り様。 転勤して判ったことだが、転勤先は同じ岐阜県であっても旧美濃の国 しかも高山市がある飛騨の国からは遠く遠く…トオ~ク離れた岐阜県の最東端 すぐ隣は長野県となる。とにかく冬になると寒い。近くには寒天の産地もある。なんで寒さの説明に寒天が出るかと言うと、海藻を寒空に晒し 水分を凍らせて飛ばす方法で寒天は出来上がる。並みの寒さでは寒天は仕上がらない。 なんていうことも覚える始末。

タイトルに戻る。冬場の中津川ではあまりの寒さから、プラットホームで待つ人たちは片足を上げて列車を待つ。両足同時にしびれたら歩くことができなくなるからである。

君子に九思あり(論語・季氏篇) R6.1

困ったときの論語頼り・・・・  そもそも君子って何者??から・・・  

論語の限らず中国古典には君子がやたらに出てきます。徳行の備わった人。儒教の道徳を身に付けた教養人等々諸説ありますが、ここは大雑把に尊敬に値する立派な人でまとめましょう。

     

君子には、絶えず念頭に置いて考えることが九つある。  如何に箇条書きしてみる。

視るには明を思い・・・物事を視るときはその核心に迫るまではっきり見るようにする

聴くには総を思い・・・聴くときにはその話の核心を聴いてそらさぬ

色には温を思い・・・顔の表情は絶えず柔和で温かみを失わない

(カオ)には恭を思い・・・態度は誠実さ第一で臨む

言には忠を思い・・・発言には責任を持ち

事には敬を思い・・・行動は絶えず慎重に行う

疑わしきには問いを思い・・・疑問を感じたらそのままにせず疑問を晴らす

怒りには難を思い・・・怒りの感情が出たら他に迷惑を及ぼさないように

得るを見ては義を思う・・・利得に関しては義に合うかをよく考える

   

  ここに書いた9つの箇条書き。実は十年前にも一度書いています。覚えている方がいるとすればかなりの記憶力。書いた当人も遠い記憶となっているところ、改めて君子は良い言葉を残してくれたものだと思い、新たな年にひとつくらい忘れずに日々を送りたいと思う。

世 論 調 査  】 R02.10

 我が家で 現在取り寄せている新聞は3紙。 読み心付いてから続いている朝日新聞・・・・・お付き合いは推定80年間(今は亡き母親の話では 国民学校(現在の小学校)に上る前から新聞を読んでいたそうだ。その頃は読売新聞だったかもしれない。何故なら記憶がないのに 何故か読売新聞への既視感が残っている)。 所帯を持ち 静岡県内に居を構えてからの静岡新聞・・・・・こちらの購読歴 約50年。日本経済新聞は現在の仕事を始めてからなので41年間。 目を通す時間数は起床時(何故か年々早くなってくる) から朝食時(こちらは行儀が悪い)を含めて おおよそ2時間半。 読み残しがあれば 夕食後の時間をこれに充てる。
さて 菅義偉内閣の発足を受け、各新聞社は16、17日に電話による世論調査を実施し(たらしい)。9月18日の朝刊にその結果が一面を飾っていた。

 さて、菅内閣の発足時支持率は 朝日新聞=65%(不支持率13%)、静岡新聞(共同通信社)=66・4%(不支持16.2%)、日本経済新聞=74%(不支持17%) ム ム ム・・・・何故 日本経済新聞の支持率だけが高い。 別に管内閣にケチをつける気はないが、この手の世論調査では 各社の不支持率には差が出るものの 支持率での差異は あまり出ない との先入観があったので 再び・・・・ム ム ム。・・・・釈然としないまま一夜を過ごしたが、翌朝の日本経済新聞4面に釈明まがいの記事が5行に渡り書かれていた。毎日新聞(支持率64%)を含め朝日新聞.共同通信では 支持 不支持 判らない の数値を単純にカウントしたのに対し、日本経済新聞では 判らない の回答に対し、重ねてどちらかとの質問をした結果だとしている。
因みに 当初支持率は66%(ナンダ変わりなしジャン)だった。 重ね聴きの大切さを知る。

【 読書雑感 】 R02.09

 わずか数カ月で 新型のコロナウィルスの感染拡大は人々の生活を非日常へと叩き込んだ。3月から始まった日々は、ひたすら自粛を自らに言い聞かせる日々の積み重ねとなった。 
 連日 為すべきことも思い浮かばず、ぼんやりと泳がせていた目線が届いたのが壁際に鎮座する書棚である。 かつて 全面に並んでいた書籍は片隅に追いやられ、代わりに鎮座するのは 美術本、人形、お土産、それに意味不明品の数々。  暇に任せて生き残っている書籍を数えたら150冊余り。どうやら見た目の良い背表紙が選ばれた理由のように思われる。 その大半が中国古代春秋戦国時代・紀元前500年頃例を挙げれば、秦の始皇帝の時代を中心にした背景としている小説である。 一時 その時代の本を読みふけっていたことを思い出しながら、書籍の発行年を見ると2000年頃が中心。 つまりは20年前に読んだ本か・・・と感慨にふけりながらページを繰っているうちに思わぬ時間が経過した。 但し、内容に思い出すことはなく、いずれも初見感十分な時間となった。 それから以降、暇さえあれば20年前の書籍を読みふけっている。
 どうでもよいことかもしれないが、現代の中国を意識しながら読めば何かの足しにはなるか、などと屁理屈を言い訳に、久しぶりの読書に時間を送る日々となっている。2000年以降の書籍が一冊も残っていなかった ということは、その間あまりまともに読書をしてこなかった。ということともなる。 20年という時間が持つ意味を考え深く受け入れている日々となっている。

日歩2銭 】 R02.08

 事業・・・・・と言うよりも商売に関わっている人にはお馴染みの言葉。 昭和の時代を思い浮かばされる言葉です。 年を365日とした場合に、借入金100円に対する1日当たりに発生する利息は、0.02円ですよ。つまり借入金100円に対し1日当たり2銭を利息として支払ってください。これが日歩2銭とのこと。 これが日歩2銭… 1年経てば 2銭×365日で730銭、つまり7.3円。 で ・・・・・年利率は7.3%。 昭和の時代では日歩2銭が基準なので 年間利率は7.3% 。100円当たり年間利息は7円30銭で年利率は やっぱり7.3% 。  そういえば 税務署の税金延滞にかかる延滞税率も日歩2銭だったよなア・・・・・・わりあい最近までだったような気もするし 等々。 以上は昔のお話。  しばらくの間こんなことを考えているうちに、何か頭のなかが混乱し始めてきたようです。 
 現在の銀行からの借入金利率は?・・・・・   日本の一般的な銀行利率は1%を基準にしていると言われているけど、 それって高いの? それとも安いの?・・・・。  お隣の韓国ではどれくらい?     地球の裏側ブラジルではインフレで大騒ぎだが・・・・・   そういえば中近東地帯でも・・  いやいやイタリアでのキナ臭い話も聞こえてくるしEUの中での優等生ドイツとの関係はどうなるのかなア 等々 膨らみ始めた妄想は留まるところを知らず彷徨(サマヨ)うばかりです。 日常的に金利に絡む話は多く出ますが、こうなると蔑(ナイガシ)ろにはできません。きっと奥は深い。

【 年 度 末 】 R02.07

 常識的には3月末での一区切り・・・・年度末・これが日本の常識です。  ・・・・・・ その区切れが、その年度に関わりあう仕事で働く 我が国の行政を相手に従事する者にとっては、年度仕事のまとめは6月末で、この仕事を終えた時に やっと年度末が消えてくれます。 と言うことで、目下あれもこれものテンテコマイ状態。 頭の中では2時間で片付く仕事も、手を付けてみれば1週間に膨張する始末。 まぁそのことは管理職にあるものの身にしてみれば 止むなしとするかだが、 それにしても眼前には種々雑多な仕事の山。 毎度のことながら 性懲りもなく訪れる何十年来の年度末行事となっている。
 何故に2時間のはずが1週間に膨張するのか。  
 第一には、仕事の山を横に眺めながら、眼前に置かれたペーパー1枚の裏に透ける様々な出来事 或いは それに関わる思いに浸るためである。 そういえば・・・・ そうだったよなあ・・・・ 等々。思いは一瞬の間に50年 或いは80年の時間を行き来し、気が付けば、我が手は 意味もなくホッチキスをこね回し、ハサミを鳴らしている。  
 第二には、目にしたペーパーに記されている内容から これから始まる将来への思いを妄想する。これ・・・・面白そう。あいつと組めばとんでもないことが始まりそう。コロナの次には何が来るか。トランプがめくられるとどうなるのだろう。  等々・・・・気が付けば目前の景色は今朝のまま。

【 新型コロナウイルスⅢ】 R02.06

 街中で人々の影が薄れ、マスクに覆われた顔を合わせながら、目と目で挨拶をかわし続けた緊急事態宣言は解除されたものの、新型コロナウイルスが消え去ったわけではなく、依然として街中を跋扈しています。  
 ウイルスの正体も定かではなく、これと言って有効な予防薬 治療薬もない中で生き続けよ。 と 言われても・・・・まともな武器も持たせてもらえず、自らの体をもって敵戦車に突撃せよと命令された、どこかの国の兵隊が思い出されます。 今になって、新型コロナウイルスに対する行動規制の指針の内容や発令のタイミングについての是非を声高に論じ、我が国の発症率は 他国のそれに比較して低く死亡率も低い。 等々 といくら叫ばれても何の慰めにもなりません。  
つまり・・・『そのウ~チ~何とかナ~ルデショウ^^♪♪・・・・・』なのです。  
手ぶらでコロナと向き合わされ、これからも向き合い続けなければならないのは、私であり貴方なのです。 てなことをボヤキたくなる昨今ですが、本当にどうしたらよいのでしょうか。
 今の世を生きるすべての人たちは、正体も定かではない新型コロナウイルスと向き合って生きていかなければなりません。 出てくる言葉は 「お互い・・・・気を付けましょう」であったり
「…お大事に・・・・」であったりとボキャブラリーは尽きません。
で  お互い・・・・気を付けましょう。そして 本当にお大事に・・・・・・・です。

【 新型コロナウイルスⅡ】 R02.05

 国内メディアでは連日のコロナ騒ぎで関連ニュースが踊っている  ・・・・・先月号の書き出しです。もっともらしいのですが、何か他人ごとの感は否めません。が、一カ月の時間で様変わり。新型コロナウイルス蔓延で大変な昨今です。  
 心と身体の防衛に努めましょう。危機的状況下では防衛が基本です。


少しくらいなら楽をしてもいいだろう。 
少しくらいなら許されるだろう。もう少し、もう少し……。
 このもう少しが自分をダメにします。妥協を許した己の心
 に流されているだけです。 流れはどんどん加速。気付い
 た時にはもう弱い自分を治せず、他人にも迷惑をかける。


  * 腹が立つけど、もう少し歯を食いしばろう。
  * つらいけど、もう少し耐えよう。

   こんなもう少しが、いつか強い自分を育ててくれる。
   強いと言っても、身勝手な強さじゃぁない。 
   じーっと耐えて、自分にちょっぴり厳しくする強さ
   なのです。

 

  あなたはどっちの ‟少し”を選びますか。


【 新型コロナウイルス】 R02.04

国内メディアでは連日のコロナ騒ぎで関連ニュースが踊っている。・・・・で 統計の話。
3/25AM7:00に於ける日本の感染者数 1、193名。総人口1億2,600万人に対する比率約0.000947%。同日同時刻における世界の感染者数370,917名。総人口76億3,000万人に対する比率約0.00486% 。
 ここからが本文。  感染が急増中の欧米のメディアでは、日本の新型コロナウイルスの感染者数が、統計上では先進国の中で圧倒的に少ないことをめぐり、日本は検査不足で実態が反映されていないのではないか。 それとも感染抑止で機能しているのか。 などの話題が盛んにおこなわれているとのこと。 まあ・・・いらぬお世話と言えばそれまでだが、いくつかを拾い出してみた。
 ① ドイツ誌電子版では、『日本のコロナの謎』という記事を   掲載。欧州と違い多くの店舗が開いて  いるのに、日本の感染者数は少ないと指摘。 検査数の少なさへの批判と、疑いが強い症例に絞り 効率的に検査しているとの両論併記。
 ② 米通信社も、検査数の少なさを指摘しつつ、検査数が多いイタリアより致死率が低いことを紹介。
握手やハグ行為の少なさ、手洗い習慣などを肯定的な要素として挙げている。
 ③ 英国の某大学データベースには、不完全としつつ公開している統計によると、英時間20日までの集   計では、日本のPCR検査件数は約15,000件と、韓国の31万件超、イタリアの20万件超と比べ少ない。ただ、WHO幹部某氏が23日の記者会見で、日本の検査数の少なさを問われ、「インフルエンザなど既存の疾患発見の仕組みが機能しており、新型コロナウイルス検査の前に別の疾患が判明する場合もある」との照会と、検査徹底が最重要とする一方、検査数に表れない対策があるとの認識も記されている。  と まあ まことに・・・・・・

【ネクスト・ソサエティ】 R02.03

 松永会計での『ドラッカー教室』は新しいシリーズに入っている。 表題はそのテーマであり、使用するテキスト名でもある。  
【ネクスト・ソサエティ】が刊行されたのは2002年(2005年11月死去)であり、ドラッカーの晩年における論文や対談などが載せられている。  第一部「迫りくるネクスト・ソサエティ」の数字は2000年乃至は2001年のものとなっており、内容は 20年後の社会(まさに現在の社会)を予測し、対応を考えさせるものとなっている。
急激な変化と乱気流の時代にあっては、単なる対応のうまさだけでは大きな成功を望み得ない。大きな流れを知り基本に従わなければならない。 個々の変化に振り回されてはならない。大きな流れそのものをチャンスとしなければならない。 その大きな流れがネクスト・ソサエティの到来である。 それは 若年人口の減少であり、労働形態の多様化であり、機械化がもたらした製造業の変身であり、対応する企業とそのマネジメントの変容が要求されている。 
ドラッカーは言う。この大きな流れに乗った戦略をもってしても成功が保証されるわけではない。しかし、それなくして成功はあり得ない。 ・・・・・ と。
  今回の教室では、テキストの読み合わせを省略し、呈示されたテーマに沿って全員がそれぞれの思いを述べる方式で行われている。 初めての試みもあってか、大きな流れに乗っての主張はまだまだ出てこない。 米中間の貿易戦争に端を発した世界経済の行方。 コロナウィルスが引き起こした世界的な混乱。明日ではなく・・・次の瞬間に不安を感じている今を、どう捉え対処するのか。 
今後を期待すること、大である 。

【 あしの裏・わきの下】 R02.02

幼な子をあやすとき、足の裏やわきの下をくすぐるように触れたことがありませんでしたか?
反応を示し、時にはキャッキャと声を上げた時に、小さな幸せ感を感じたことありませんでしたか。今回は触覚の話。
自分の指で触れてもくすぐったくない足の裏やわきの下。なのに、他人に触れられるとくすぐったくなる。こんな何故を真剣に探究したのは、古代ギリシャのアリストテレスだそうである。到達した結論は「自分の指の動きは予測できるが、他人の指の動きは予測できないためである」。現代の学者たちが、MRI(Magnetic Resonance imaging :磁気共鳴画像)を使って、くすぐり行為と脳の反応を調べた結果、アリストテレスの推理は正しかった。とこちらも結論付けた。
「万学の祖」と呼ばれたアリストテレスは、五感の中で触覚を「第一のもの」と位置づけていた。人の皮膚には感度の良いセンサーが備わっている、そうである。ものの凹凸を覚知するのはメルケル細胞。ツツッと滑る感覚を担うのがマイスナー小体。ザラザラ感はパチニ小体。他にも役割不明なセンサーがいくつもある。・・・・らしい。いずれにしても聴き慣れない話ではある。
「百聞は一見に如かず」と言われるが「一触には百見を上回る力がある」らしい。
触覚は人の思考に影響を及ぼすかを実験したアメリカの大学がある。未知の人物の写真を示して性格を推理してもらう実験である。ホットな飲料を手にした写真の人は、冷たい飲料を手に持つ写真の人よりも「あたたかい人」だと想像する割合が高かったそうである。
今より2400年前アリストテレスの昔から、触覚の世界は不思議に満ちている。

【 環境変化を追いかける 】 R02.01

 経営にとって継続は最低の条件。継続には時代の環境変化への対応が必要と語り継がれてきた。
このような書き出しとなったのは、全米各地で有名小売店の破たんが相次ぎ、店舗の閉鎖が新規開業を上回る状態が続いている。・・・との記事が目に留まったせいで、米国に起きた変化はいずれ日本にも及ぶのが通例。
日本は長寿企業が多いいことで有名だが、語り継がれる長寿方程式なる言葉がある。『企業の寿命を延ばしたければ、時代の環境変化に対応し進化せよ』で、経営教科書の類には必ず載っていると言っていい。仕事柄、経営に関するセミナーに多く参加してきたが、繰返し聴かされた言葉となっている。問題は環境変化をどう読み取るかであるが、当然のことながら起きた環境変化を追いかけていたのでは手遅れとなる。どれくらいの先を読むかで議論は沸騰し結論に至らない。「そもそも目まぐるしく変わり続ける世の中で、先のことなどわかるわけがない。無駄ムダ」等と茶化す輩も出てくるが、『明日をも知れぬわが命。いま何事が起きてもおかしくない』のが世の中の常であるならば、茶化す輩ももっともである。
そうは言っても・・・・の話がある。1963年国連(国際連合)が37年後の2000年の世界人口を61億2973万人と試算したところ、実際は61億2412万人で誤差は561万人0.0092%。その国連が今年の6月に発表した推計によれば、2050年までに世界人口は現在より20億人増加して97億人になる。さらにこの溢れかえった人々がどこで暮らすかを予測すれば、70%以上が都市部に集中するという(現在は55%)。我が国でも人々の都市集中化傾向が顕著であるのを見れば・・・・である。
環境変化と向き合ってみたい。

松永文宏税理士事務所は
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松永文宏税理士事務所
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