「所長のこらむ」平成27年

このページは、松永会計事務所新聞の「所長のダンディコラム」を掲載しています。

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平成27年

【変える】H27.12

今の仕事を始めたころ、手当たり次第にセミナーに参加した。それぞれが今日の自分形成に役立ったが、その一つに自分を変えることの大切さに気付かされたセミナーがあった。 紹介する。「誰もが他人との交流の中で相手に変化を期待する。しかし相手はその期待に応えることはない。為に変化をしない相手に苛立ち争いとなる。夫婦喧嘩、親友との仲たがい。どうするか」がテーマで二泊三日のセミナーは始まった。 三日後の結論は「変化を期待するのは相手にではなく、自分の心にである。自分の心は自分で決められる」 次いでの一言が効いた。「毎朝 目覚めて奥さん(旦那さん)と顔を合わせたとき挨拶していますか?」に 全員反応なし。「挨拶できていない人は、明日の朝 あなたから挨拶をしてください。それがこのセミナーの結論です。」
経営に関する相談は多種多様である。多くは社員に対する不満、自分の意にそぐわない社員の言動である。さりげなく話してみる。「言い方を変えてみたら…、自分の考え方を変えてみたら…」 週日を経て聴いてみる。「で、どうだった」答え「ゼーンゼン」。 再質問「考え方変わった?話し方変えた?」 「どうすればいいのかわからない」…… こんなやり取りが何回か繰り返される。 そのうちにやり取り自体がなくなってくる。 ある日唐突に社長が話し出す。「あいつ(社員A)何か最近変わってきて良くなったみたい」 「社長、何か変えている?」「特に…」 そこで社員Aに尋ねてみる。「社長変わった?」 「うん。変わった。話をよく聞いてくれる(等々)」 数字は正直である。やがて動き出す。 世に言う「利益は社長の行動を映し出す」 と。

【こども時代のバイト生活(後継者問題Ⅳ)】H27.11

職業軍人であった父親と暮らしていた横須賀市から、母方の出地である焼津市(当時は焼津町)に疎開したのが昭和19年の夏8歳の時。 終戦(自分史の中では敗戦)を迎えたのは再疎開先の瀬戸の谷村 (現在は藤枝市)の公民館で20年8月。 山を下り焼津に戻って来たのは5年生のとき。
既に母子家庭となっていた我が家で、小遣いは自分で稼ぐものと勝手に思い込んでいたので今でいうアルバイトをやっていた。手始めは5年生の冬休み。2人の叔父はいずれも手広く事業をやっていたのだが、下の叔父がやっていた鰹節づくりや蒲鉾などの練り製品工場の手伝いだった。 きっかけは同年の従弟ケイちゃんの誘いで始めた鳴門巻(今では焼津名産)製造の手伝い。その鰹節工場や練り製品工場には全国から職人が来ていて、方言丸出しで始まる喧嘩の通訳をさせられたのも今は楽しい思い出。 石巻や枕崎からくる職人たちの中に、自分よりやや年上の子供が何人かおり、職人とも思えずいくらかの違和感を持ったのを覚えている。今思えば、それぞれの地で事業を営む同業者が、我が子を修業にと預けたものだったのだろう。そういえば朝ドラ「あさが来た」の中で、主人公の弟が幼くして同業者のもとに修業に出されるシーンがあった。我々の先達は、後継者である我が子を鍛え上げてきたのである。忘れてはなるまい。
私に還る。以後手当たり次第にやっていたアルバイト。高校生時代には、冬休み=練り製品工場手伝い、夏休み=冷蔵倉庫会社(上の叔父の事業)手伝い、春休み=浜での魚仲買手伝いに収斂する。小学校5年以後高校卒業までの間、記憶の中の「やすみ」はすべてアルバイトに染まる。

【♪~ むーらの渡しのせーんどさんは ~♪(後継者問題Ⅲ)】 H27.10

(続いて・・・) 今(こ)~年(とし)六〇のお爺(じい)さん♪~・・・・。
戦後間もなくはやった児童歌謡。今も唄えるのは何歳位までであろうか?  日本人の平均寿命が男女とも80歳台入って久しい。 関与先企業の経営者諸姉諸兄のうち、表題の歌を知る人が何人いるだろうか。
「中小社長の廃業増加」 静岡新聞9月22日朝刊にこんな見出しがあった。 自ら幕を閉じる休廃業や解散は不況時に増える倒産とは性格が異なる。 高齢になった中小企業の社長が、後継者の不在を理由に廃業を選ぶケースが増えている。(帝国データバンクによると)平成26年度の休廃業・解散は2万4千余社。景気回復で件数としては前年比横ばいだが、特徴的だったのは休廃業・解散企業における社長の年齢で、70代以上が39.8%を占めている。 平成16年では26.3% 21年の31.6%と比べても高齢社長の比率は年々増加し「後継者難による廃業が目立つ」(同社)。
記事では、中小企業は子が後を継ぐことが多いが、子の数が減り、その子も都会で就職し事業の承継をしない。事業不振から退場の道を選ぶのはやむを得ないが、中小企業庁は「高い技術が失われ、熟練した従業員がいなくなる」と懸念を示す。 また、町工場などの技術や雇用が失われれば地域経済の足腰が弱まりかねない。企業の合併・買収(M&A)を使った事業継続を促そうと商工会議所や地銀が縁組仲介に力を入れ始めている。 と 続く。最近扱う事業再生やM&A案件などでも、事業承継は重要なファクターとなっている。

【人材は、いる(後継者問題Ⅱ)】H27.09

経営者は企業と共に育つ。動機はどうであれ企業経営に携わった経営者は、関わり始めた企業が当初から変動のないままで現在に至っている例はないでしょう。大きく育ったか、規模は同程度であっても内容的には大きな変化があって生き残ったはずです。それ以外は倒産か廃業であり貴方の周辺にもあったことを思い出していただきたい。  経営を始めて5年、10年、20年と年月を重ねる中で、経営トップとして数限りない決断と実行を重ね苦難を乗り越えて今日があるはずです。 その年月が経営者であるあなたを育てたのです。
「運に恵まれて・・・・。多くの方々に助けられて・・・・。」成功者と呼ぶにふさわしい経営者の方々の話は共通しています。 これを聴いて単なる謙遜と受け取る経営者はいません。 経営者の方々とこんな話を時々します。 (私)「貴方に懸っている保険のことを考えたことありますか? (時にはえげつなく)死ぬことを考えたことありますか?・・・」  それほどの思いを重ねて迎えたのが今日の我が社であり、企業トップの社長としての貴方なのです。
後継者問題とは、貴方が乗り越えてきた多くの苦難や生きざまの成果である我が社の経営を、貴方の経験を持たない貴方以外の誰かに引き継ぐことなのです。 企業は多くの人々の協力があって成長をします。人材(あるいは将来の人材)の協力がなければ我が社が今日を迎えることはなかったはずです。人材となるべき人物は周辺に必ずいます。見出して次世代の経営トップに育て上げるのが貴方の役目です。いないはずはない。見出せない方に問題がある。と私は思う。

【後継者問題】 H27.08

ゴーイングコンサーン という言葉がある。会計の世界で使われる言葉で、日本語訳では「継続企業」。
人は生まれれば必ず死ぬ。けれども企業(会社)は一度生まれれば生身の人とは違い半永久的に継続するという仮説。   なぜ??・・・  社会が必要とする財物を提供するのが企業の役割であり責任と言われている。だから企業が社会へ対する責任を果たし続ければ、この世がある限り企業は永遠に不滅。という論理。
何れは死ぬ人間が不滅の企業を維持するには、次に経営する人への引き継ぎは避けて通れない。後継者問題である。  いま、日本の中小企業は年々かなりの勢いで減少を続けている。最大の原因はこちらも後継者問題。はやりのM&A(買収や合併)の声がかかるのは、財務内容がかなり良いとか企業価値が認められる企業のお話で多くの中小企業には縁がない。残された選択肢は我が子や血縁者、あるいは従業員への引き継ぎ。人材がいないはよく聴く話。 初めからその気で育てたなら別だが、キャリア官僚やエリート社員になった我が子に家業を継げと言えるか?  世の人材は一流企業に集まり従業員には人材がいない。と 勝手に思い込む。  違う人材はいる
企業(会社)で成果を残す人物を人材と定義すれば、人材はその組織によって育てられる。人材 はいないのではなく、見出し育て上げる力量の問題。人材となるべき人物は必ずいる。よく観察して頂きたい。見出し育て上げるのが経営者の責任。 人の特性はそれぞれ。我が身に比べれば長所はわかる。 残るは育てるだけだと私は思う。あとは任せて育てる!任せれば育つ!。。。

【一個作り】H27.07

『一個作り』なる言葉を知った。メーカーである某社の≪月初会議≫に参加したときである。社員20名余のその会社では、毎月の操業初日に全社員を集め、就業前15分ほどの時間の中で、社長が前月の売上実績と発生したクレーム内容を報告し当月の売上予定を告げるのが恒例となっている。表題の言はクレームの発生原因に話が及んだ際に発せられたものだ。目の前の仕事は一つを着実に終わらせ、終わったなら次の一個の作業をすればよい。理由は終わった仕事を引き継ぐ次なる者も、物は一個だけしか作れないからである。まとめて作っても意味がない。それどころか、周辺に余分なものが溜まれば注意は散逸し間違いを起こしクレームの基になる。 概ね、そのような意味合いからの話である。
『一個作り』に感銘を受けた我が身はどうかと言えば、一個作りどころか「同時作り」の山にいる。 で、一個作りへの転換を試みたが長年の習性を正すのは中々難しく、何度試みてもうまく行かない。  事務所スタッフの仕事ぶりを見たところ、着実に仕事を片付ける一個作り派と同時作り派がいる。結果を評価すれば明らかに軍配は一個作り派に挙がる。再び我が身に戻す。考えた末、『同時』をリストアップし、一仕事終わる毎にリストの消し込みを試みた。一つが終わらない限り他の仕事には手を出さないルールである。何度か挫折は味わったがどうやら行けそうである。やってみて気がついたことがある。集中度が違ってきた。よそ事は考えずに仕事に取り掛かるせいか結果はまことによろしい。
一個作りに挑戦あれ。

【おのれよりも優れた者に働いてもらう方法を知る男。ここに眠る】H27.6

今日のアメリカを築き上げた功労者 鉄鋼王アンドリュー・カーネギーの墓碑の残されている銘です。組織とはいかにあるべきか、経営とは何をなすべきか。を教えています。
企業経営の在り方は、企業組織を立ち上げこれを経営して成果を挙げることにあります。まことに単純にして明快だが成果は思うように挙がらない。 と、ぼやく世の経営者諸氏に対するメッセージでもあります。 我が社の目的を明確にし、何をなすべきかを組織の人々(社員)に教え、目的に合わせて適切に仕事(社員)を組織するなら、誰でも目的に沿って為すべきことを為し得るようになる。 社員を動機づけ彼らの献身と力を引き出す。  彼らが最善を尽くすか、あるいは適当に仕事をこなすだけに終わるかを決定するものが経営である。と 墓碑銘には刻み込まれている。
「我が社には人材がいない」はよく聞く台詞。 人材は稀であり世間が捨ててはおかないから手に入らない。 従って成果を得るには、凡人の強味を引き出して能力以上の力を発揮させ、優れた仕事ができるようにするか否かにかかっています。「凡人をして非凡なことをなさしめる」が経営であり経営者の力量です。「ないものねだり」は止めて社員に目を向けましょう。 何をなすべきかを社員に示し、「任せて育てる」に貴方の器量がかかっています。事業の成否がかかっています。任せたままでは「丸投げ」です。育てることを忘れていませんか。逆に「何でもやりたがる症候群」に取りつかれていませんか。 探している人材人物は貴方の周辺に必ずいます。

【天下は広く 人物の多きに、材無しと言う者は、我信じざるなり】H27.05

「世の中はこれほど広く、そこに住む人間も多い。それなのに、人材がいないと嘆く声があるが、私には信じがたいことだ」   中国北宋の政治家 王安石『材論』からの引用。
「人がいない 人材がいない。とはよく耳にする言葉だ。果たして本当にそうなのか疑問だ」の意。  自分の周辺をよく見れば、優れた才能や能力を持つ人物は必ずいる。そのような人物を探し出す努力をしているかどうか。一度自分に問いかけてもらいたい。・・・平たく言えばこうなります。
人材に関して似た言葉を関与先の経営者諸氏から聴かされることが多い。人材は自らが探し出し、自らが育てることが本筋です。 案外身近に玉は隠れているものです。いないようでいるのが ひと(人物)です。私の乏しい経験からでも言えることです。成長過程にある若い人を、手塩にかけて育てるという楽しみを自分で奪っていないかどうか、ということも 問いたい。ご自分の若かりし時代を知る人にお尋ねになれば、貴方が視る若者像にダブっている事を知るはずです。
成長過程にある若い人たちから学ぶ柔軟な姿勢があれば可能です。彼らから学ぶためには、ご自分の考えを先行させず聴くことです。彼らの言葉から発見することです。ご自分の考えは彼らから全てを聴きとった後に発しても間に合います。
人物は貴方の周辺に必ずいます。探し出し、育て上げることに貴方の器量がかかり、世間の評価があります。 いるのに「ない者ねだり」は止めることです。

【顧客の慾求・・・基本中の基本】H27.04

「リスケ」なる言葉が聞かれるようになって何年たつだろう。 銀行からの借入金の返済条件 (スケジュール)を変更する(リ・スケジュール)ことである。 リスケのリスケすらある。 最近になって増えていると の話を多くの金融関係の人たちから聴いた。それだけ現況が悪く、リーマンショックの傷跡が深刻であったこととなるのだろう。
リスケに関わる業務支援依頼が何度かあった。計画策定の支援と金融機関との交渉、その後のフォローをする。  作業中に気づいたことがある。経営者は己が為すべき事を見失っている。基本を見失っている。
何事にも基本があり、事業といえども例外ではない。自らが生み出したモノやサービスを購入してくれる顧客があって事業は成立する。 「そんなことは百も承知。お客様は神様だ!」「我が社が何をすべきかを決定するのは顧客だけである」等と言いながら、現実は我が社が売りたいものが先行し、顧客は欲しがっているハズだ、安いから売れるハズだ。等の勝手な思い込みが現実にある。 利益が欲しい、売上を取りたい、との思いが何かを狂わせている。
前月のコラムをそのまま引用する。  我が社の事業はなにかを決定するのは顧客の欲求である。  お客さんが必要とするモノを必要とするトキに届ける。  基本中の基本である。  我が社の顧客が欲しがるものは何か?  目的・目標は何か? 我が社が為すべきことは何か? をである。
顧客の欲求自分の欲求に変質していないか?・・・考えて欲しい

【ハタラク(働く)ってことは・・・ハタ(周辺)をラクにすること】H27.03

最近聞くことの多いラジオでのコマーシャルフレーズ。「働くってことは自分のためではなく、自分以外の誰かのお役立てになること・・・・つまり、自分以外の他の人を楽にさせるために自分が何か  をする」の意味。 その成果を必要とする誰か(他人)のために行うことを働くと言うのであって、自分のために行うことは働くとは言わない。それは『勉強』『趣味』の世界である。
商売はなにかを必要とする顧客の欲求があってこそ成立する。 お客さんが必要とするモノを必要とするトキまでに届ける。 それを実現すれば商売は成功する。 顧客がまだ気づいていない欲求を生み出せば大成功も視野のうち。ITやネットの世界ではよくある成功物語だ。事業は この顧客の欲求からスタートするのだから、すべからく成功は収められる。・・・筈である。ところが現実はそうならない。それは顧客の欲求の読み違え。あるいは顧客の欲求が何時か自分の欲求に変質したのか・・・いずれ吟味したい。
社長は顧客の欲求の意味合いを社員に日頃から語りかけているか? 我が社が為すべきことは何か。目的・目標は何か? を である。どこでも社員は会社のために懸命に働いている。会社が良くならなければ自分も良くなれないことを知っているからである。社長の思いが社員に届いていなければ、社員は社長の思いとは真逆のことを懸命に働く、かもしれない。【気働き】という言葉もある。人に言われたことだけをやるのではなく、周囲に目配りをし配慮することである。まさに、ハタをラクにすること。社員をどこまで教育できているか、である。

【ママ! なんでお正月っていうの・・・】H27.02

ずれているのは承知のうえでの話題だが、正月の街中ですれ違いざまに小耳にはさんだ子供の疑問。どうママが答えたかは聞こえなかったが、気になったので・・・・。
例によって小学館『国語大辞典』だが、「①一年のいちばんはじめの月。むつき。いちがつ。」と、まことにそっけない。  そこで、ネット頼り・・・・【意味】正月とは、一年の最初の月。一月。特に年頭の祝いをする三が日から松の内(元日から七日、もしくは十五日まで)をさす。  引き続いて【正月の語源・由来】正月の語源は、事物の起源や語源・語議を解説した室町中期の類書「あいのうしょう」の説が有力とされる。それには、「政治に専念した秦の始皇帝の降誕の月をセイグヮツ(政月)と言っていたものが、正月と書かれるようになりシャウグヮツと改められたとある。注として(正月の旧かなは「シャウグヮツ」)。以上は『語源由来辞典』。  知らなかった!!!   ついでに『実用日本語表現辞典』では、正月【読み方】しょうがつ・しょうがち。 一年の初め。とりわけ、新年の祝いの期間を指すことが多い。『沖縄大百科』【読み方】そうぐゎち。 以下略。『暮らしの歳時記』【正月行事の由来と過ごし方】からは、大掃除・門松・注連縄(シメナワ)・鏡餅・年越し蕎麦・除夜の鐘・初日の出の曰く因縁故事来歴。「このようにして年神様をお迎えしたら、おもてなしをしないといけません」としめくくり、さらにはお年玉やお年賀 に至る。まことに我が国のお正月は奥が深い。     極めるにはあと幾十年のお正月が必要か・・・・

【為(な)さざるなり。能(あた)わざるに非(あら)ざるなり。(孟子・梁恵王章句)】H27.01

「できないということは、できないのではなく、やらないということだ」今年の言葉としてお送りしたい。
戦国の智将武田信玄の至言 『為せば成る、為さねば成らぬ成る業を、成らぬと捨つる人のはかなさ』は、孟子のこの言葉を典故とする。 この『為せば成る』は、広くひとの知るところである。人間にとって、できないということは、心ができないと決めたときに、できなくなる。が正しい理解・・・・人の嘆きは信玄の昔も今も変わらない。
関与先企業と共に成長する。は 松永会計の理念である。 最近になり、関わることが多くなった経営改善計画策定とそのフォローは、事務所理念の実現に向けての仕事と位置付けている。 その中で多くの経営者諸兄が、計画され予定されている行動の手前で立ち止まり、迷いや戸惑いを見せ行動に入れない。 或いは入らない。行動の向こうに成果があるにも拘らずである。 その後に続くのは言い訳の山である。 理由にならない理由。 苦しいだろうなあ・・・は同情する当方が抱く思い!  行動の先には成果があり、変わりだす我が社がある。 やろう! 必ずやり抜こう!  行動の手前で躊躇する諸兄に表題の言葉を贈ります。
ついでにもう一言 「臆病でためらいがちな人間にとっては一切が不可能である」(サー・ウォルター・スコット 英国の作家)

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東海税理士会所属

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