「所長のこらむ」平成26年

このページは、松永会計事務所新聞の「所長のダンディコラム」を掲載しています。

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平成26年

【顧客第一と利益】H26.12

個人法人を問わず企業経営者であればよく耳にする言葉。商売はお客さんあってのもの。
こんな言葉でも語られる。曰く「プロダクト アウト ではなく マーケット イン」。 作ったモノを売るのではなく、市場が欲しがるものを作ればよろしい。まことに【売れてナンボ】が商売である。
月3回のペース。事務所で行うドラッカー教室のテーマは「企業は自らではなく外部、すなわち顧客のために成果を生み出す経済的な機関である」。 ①顧客は誰?  ②顧客の欲求は何? ③その欲求を満足させるモノを世に送り出せ  ④利益は①~③が正しければ生まれる。  大いに正しければ利益は大きくなるし、ソコソコならば利益もまたソコソコ。間違えれば利益は出ず あえなく倒産退出となる。 利益は事業の目的とは成り得ない。 事業活動が正しく行われたかどうかを判定する究極の基準に過ぎない。 事業の成否は顧客の欲求が基本にある。
最近、経済見通しが悪いせいか売上や利益確保に関する話を聴く機会が多い。 業況や我が社の内実など善く研究分析されている。が、幾つか気になることもある。 総じて絞り込みが不足しているようだ。あれもできるし、これもできる。あれもやりたい、これもやりたい。研究熱心が為せることと思うが、絞り込みが大切。選択と集中こそ事業成功のキーワードだ。
選択と集中に必要な「目標設定が小企業では容易である。単純性こそ小企業の強みである」(ドラッカー)。
選べる顧客は小さいし、できることも少ない。だから 選択は容易。あとは集中するのみだ。

【善(ヨ)く人を用(モチ)いる者は下(シモ)と為(ナ)る】 H26.11

上手に人を使える者は、決して偉ぶったりせず、腰の低さが身に備わっているものである。
この言葉は『老子』の「不争の徳」といわれる有名の四つの言葉の中の一つである。「不争の徳」とは、自分の行為によって、相手の能力を最大限に活かし利用することを言う。 ひとを上手に使う者の基本的な姿勢は、ひとの先頭に立ってあれこれ指図したりせず、ひとの下手(シタテ)に出て、相手の発奮を巧みに誘い出すことにある。 自ら先頭に立ち、何もかも おれが!おれが! では、善く人を用いたことにはならない。

「善く戦う者は武ならず」                                        立派な武人は、むやみに武勇を誇ったりせず、人前で強がったりはしない。
「善く戦う者は怒らず」
戦さ上手といわれる人は、安易に挑発に乗ったりせず、争いを避けることに腐心する。
「善く敵に勝つ者は争わず」
戦いに勝つことをよく知っている者は、むやみに喧嘩腰になったりはしない。

表題を含めての「不争の徳」だが、人生の達人となるための行動指針とせよ。と説いている。何れも言葉としてはやさしいが、いざ実践となるとむずかしい。
ひと(他人)を使うことには、それなりの努力が必要であることを改めて知ってもらいたい。

【逡巡(シュンジュン)する】 H26.10

意味は、決断できないでぐずぐずすること。 ためらう。しり込みする。イメージ的にはあまりよろしくない言葉である。  企業トップが経営上の意思決定に当たり示す態度である。親愛なる社長さん方も例外ではない。 グズグズとなかなか決めない。 いったん決めたことをひっくり返す。 ダンマリを決め込む。 先延ばしする  等々。その場に絡む者は大変だ。会合終了後のヒソヒソ話。「また決まらないの!」「いつになったら決まるんだろう」「うちの社長は慎重だから(真意はグズ)」とさんざんである。 そんな貴方に社長さんは何故ゆえ逡巡するのか? を・・・・・
社長命令には従わなければならない。反対であってもである。 例え社長以外の全員が反対であってもである。 社長命令に従えなければ会社を辞めなくてはならない。それが会社に働く者の在り方だ。だから、社長は決めることに逡巡する。  しかし反対ならば反対と言えばよい。但し社長命令には従う。それがルールである。反対を受けて社長はさらに逡巡する。
事業とは、持てる資源(ヒト・モノ・カネ) を使って(仕入・生産等) 売上を取る。言い方を変えれば、持てる資源という現実を投じて未来という売上を取りに行く。それが商売である。未来がいかに不確実かは、最近の天変地異や世界で広がる地域紛争が何時我が身に降りかかるかを考えれば容易に想像がつく。考え出したらきりがない。だから、社長は逡巡する。
企業のトップと他の者(例えナンバー2であっても) との間にある巨大な落差。と思う。

【企業の目的・・・それはただ一つ 顧客の創造である】H26.09

表題はお馴染 ドラッカー が繰り返し主張する有名なフレーズ。 企業(皆さん方の会社・事業を意味する)とは何かを理解するには、企業(我が社)が何のために存在するかを理解すればよろしい。 我が社(企業)は何のため(目的)に存在するか・・・で、表題に戻る。
即ち 顧客の創造である。我が社の利益は何によって生み出されるか。それは我が社が世の中(社会・市場)に送り出した品物(財)やサービスを世の中の人たち(顧客)が買ってくれること(売上)によってしか生み出されない(顧客の購買行為によってしか利益は生まれない)。 世の中の人たち(顧客)が欲しがる(欲求する) 財やサービスを我が社が世の中(市場)に送り出せれば、どんどん売れて、結果としてどんどん儲かる(利益が生まれる)。 我が社の財・サービスを欲しがる顧客を探し出す ・場合によってはそういう顧客を作り出す(顧客の創造)ことが我が社(企業)の目的だよ。と いうお話。
こんなことも言っている。「社長がどう考えるかは自由だが、利益は企業の目的にはなりえない。利益が持つ意味は、市場に送り出した財やサービスが顧客をどの程度満足させたか。 企業における意思決定が顧客の欲求にどの程度マッチしていたか。 その妥当性の尺度に過ぎない」 と。我が社の本当の顧客は誰であるか?送り出した財サービスが欲求を満足させているか? しかし現実にあるのは、提供側(企業側)の事情であり論理に過ぎないのが実情。
だから、チャンスはある。
今からでも遅くない。我が社の顧客は誰であるか? 財サービスが顧客の欲求を満足さているか?

【知る者は言わず、言う者は知らず(老子)】H26.08

『本当に物事や道理を知る者は、あれこれ口に出して言わない。 あれこれ口数の多い者は、実は何も知らない者だ』 が、その大意。  老子には別の言葉も残されている。『知らざるを知るは上なり』 自分でよく知ったうえで、なお知らないと謙虚なる心を持てばこれに勝ることはない。と説いている。 衆知を集め物事をなすには、謙虚さを身に備えることが必要。口達者ではなく聴き上手になることが第一歩なのかもしれない。
中国の古典には、言葉の大切さを述べているものが多くある。お馴染の孔子から拾えば、『下問を恥じず(論語)』(自分で知らないこと解らないことを目下の者に質問することを恥とはしない)。  『忠言は耳に逆らえども行いに利あり(孔子家語)』(真心のこもった忠言は、悪意はなくても とかく耳触りのよくないものだ。が、こころを広くして素直に受け入れれば、必ず良い結果が得られるものだ)など。
仕事柄 役員会や経営会議等に参加する機会を多く持つ。そこでは様々な言葉が行き交うが、『言多くして意伝わらず』状況をみることが多い。 言葉は多くするほどその意味するところは伝わらなくなる。まず聴くことからスタートすれば・・・・と思うのだが・・・・
本欄では聴くことの大切さを書いてきたし、機会があればそのことを説き続けてきた。これからも続ける。それが我が身の役割。

【やっていいこと・やってはいけないこと】H26.07

小学校2年、横須賀の家から焼津の母方の実家に引っ越す(当時の言葉で疎開)直前、母親と二人きりになった時「そこにお座り」の始まり。悪さ、し放題の自覚から正座して身構える私に対し「話すことがあります。お前ぐらいになれば、人としてやっていいことと やってはいけないことは解っているはずです。」と 続き・・・・それでおしまい。何か拍子抜けの思いだったが、評判のいたずら坊主(自分ではそう思っていなかった)だった私が見知らぬ土地で辛い思いをしないようにとの親心だったと思う。 それ以降の人生訓として私の中で生き続けてきた。人とは解っていながら、やっていいことを行なわず、やってはいけないことを行なってしまう生き物か?とつくづく思わされることが多く、自戒を込めながらも何か少しさめた見方もしてきた。
現在の仕事に入り、経営者の方々と向かい合う中で、今更ながら母親の言葉を思い出す。やらなければいけないことを実行せず 悶々とし、行なってはいけないことを行なって苦しむ状況を如何に多く見続けてきたことか。 「やっていいことはやろうヨ ! やってはいけないことはやらないデ」と言い続けるのが私の役割。百に一回。千に一回でも役に立ててもらいたい。最近知り合いとなった僧職の方にこの話をしたところ「人は誰でも行わなければいけないことを行えず苦しみ続ける。それを煩悩と言います」と言われた。 “人間らしく”と思う。

【ゴーイング・コンサーン】H26.06

老舗企業とは創業何年くらい?・・・・・ 有名なところでは西暦578年創業・奈良時代から 1436年続いている大阪・天王寺の「金剛組」。 創業400年超で知られた会社では「住友金属鉱山」421年、「養命酒」409年。 お近くでは「松坂屋」創業400年。 現代の有力企業では「キッコーマン」381年。「武田薬品工業」230年。 あの「東芝」は創業136年である。
先日、ひょんなことから松永会計創業 (実に34年前)間もないころの電話帳が出てきた。25 の顧問先企業名が記されていたが、その中で今もお付き合いが続いている企業は6社。 実に19 社が存続していない。 率で言えば76%が消えていた。 消えた事情はそれぞれだが、それにしても 4分の3が消えていることへの衝撃は少なからずのものがあった。 巷間 会社20年説は喧伝されてきたが最近では10年説が主流になっているとか・・・・。
貴方の会社は創業何年???表題は『会社の永続性』を意味する会計業界の用語。 人は時が来れば必ず死ぬが会社は人間と違って「死ぬ」ことは予定されていない。 社会が必要とする財やサービスを生みだし続ける限り会社は生き続けることができる。 しかし、会社を束ねる人間=社長が判断を誤れば、あっけなく消滅する。 一人の人間が誤りなく会社をリードできるのはせいぜい20年。それが会社20年寿命説。 金剛組の凄さは100人に近い歴代トップの一人でも判断を誤っていたら今に存在はなかった。  事業承継の難しさである。

【仕事と 趣味と・・・・】H26.05

先の休日。家人の「雨が降りそう・・・」との冷やかしの言葉を背に、家周りの草取りをした。無理もない。現在の家に住み始めて30年余り、草取りをした記憶はない。
きっかけは前夜に見た古いアルバムに残されていた横須賀時代の庭を写した写真。それを見ながら思い出したのは母親の言葉「お仕事やってね」。  小学校(国民学校??)に通い出した頃だが、学校から帰ると言われた言葉だった。 「お仕事」とは草取りのことだ。 広くもない我が家だったが表と裏にそれぞれ庭があり、何故かよく草が生えた。「お仕事」が終わるとお駄賃として〈お焦げのお結び(懐かしい)〉がもらえた。 言うならば〈お焦げのお結び〉目当ての「お仕事」だ。 但しこの「お仕事」は家に父親が居る時はなくなる。 海軍の軍人だった父親は一旦艦に乗れば半年 一年と帰ってこない。 農家の出自らしく土いじりが何よりの趣味で家にいる間よく庭の手入れをしていた。 他方、商家の出である母親は庭いじりは苦手だったのか〈お焦げのお結び付きお仕事〉と相成ったらしい。 そんな思い出がきっかけとなっての草取りだった。 久しぶりに帰ってきても子供を抱きもせず趣味の庭いじりを始める父親(母親の愚痴)と、母親の換わりにお焦げのお結び付きお仕事をする小学生の私。どちらも同じ草取り 庭いじりだ。 他人の願いをかなえるならお仕事。自分の願いをかなえるなら趣味。そんなことをぼんやり考えながらの草取りだった。  さて、今夜のお駄賃はなにか ナ 。

【金融機関との新しい時代】H26.04

「黒字倒産」最近ではあまりお目にかからない言葉ですが、10数年前のバブル破たん当時には毎朝の新聞紙上を賑わせていたものです。 利益が出ているにもかかわらず手元の資金不足から事業継続ができず あえなく倒産に至るケースです。 ところが最近ではこの種の話を聴くことがなくなりました。 何故なのだろう・・・・
以下は松永流の解釈です。 第一には、企業、特に中小零細企業に対する金融機関の融資判断が大きく変わったことが挙げられます。 不動産担保主義からの脱却です。 企業の融資申し込みに対し、今までは融資額に見合う不動産担保の提供要求が行われてきました。 企業に担保がなければ個人不動産が要求されていました。 それが、企業の収益力で判断するように変わってきたのです。 大賛成です。 企業は将来のリターンを狙って目前のコストを賄うための資金投入が先行し、資金が不足すれば自己金融の手段を持たない企業は外部(金融機関)に協力を仰ぐ。 当たり前の構図です。 第二に不動産担保に変わる企業信用力判断に財務報告の内容を重視するようになったのです。 不確実な将来のリターンをどう読み取るか。 そのためには企業の実態をより正確に映し出す決算書が必要です。 そういう時代に入ってきました。 近時、関与先企業が変わりだしているという実感があります。 皆さん方が赤字決算を恐れなくなったことです。 かつては「少し何とかならないか・・・」などの会話があったものです。  新しい時代への対応と覚悟 です。

【自らをマネジメントすることは常に可能である】H26.03

タイトルはドラッカー教室今回シリーズ「経営者の条件」の前書きからのものであるが、隠されたテーマは 訳者(上田淳生)あとがき にある。本書は、普通に働く人たちのための本である。経営者のためだけの本ではない。現にこの本の中で、上司に命じられたこと以上の仕事をする人はすべてエグゼクティブであるといっている。そのため本書では、executiveは経営者ではなくエグゼクティブと訳した。と ある。

8ヶ月を掛ける今回シリーズも3月が最終月。我がスタッフ諸君にとって はたして隠れテーマは実証されるのか? ・・・・   徐々にではあるし、勿論 個人差はあるのだが、それは見えだしている。 知識として受身一方であったドラッカーが、スタッフ諸君自らの行為や思考へと結びつき、或いは業務を通しての経験に絡めて語りだされるようになった。 つまり、監査等を通して関与先で起きた変化を、ドラッカー的な経営に照らせばどのような意味を持つか。である。 エグゼクティブ(狭義では経営者)は自らの組織(企業)に対し成果をあげさせる責任を持ち、それにより報酬を受ける。 企業の成果は利益で測定される。 利益は測定値であり目的ではない。 成果をあげるために特別な才能や適性、訓練は必要としない。 いくつかの簡単なことを行えばよい。と、ドラッカーは主張する。 周辺を見回してもらいたい。 成功する者あり、失敗する者もある。 そこには人間力とは言えない何かがある。  それを見続けたい。

【選択と集中】H26.02

成果をあげるための秘訣は集中である。と、成功した多くの経営者は言う。 外部から見れば八面六臂の活躍ぶりに見えても彼らは言う。 成果をあげるには、最も重要な成すべきことを選び、しかも一度に一つのことしか行ってはならない。と・・・
経営の現場では、行わなければならない重要なことが無限に生まれてくる。 使える時間は限られている。しかもその貴重な時間の大部分は、取引先・銀行・社員等々が奪い自分の時間ではなくなる。 時間の収支は常に赤字となる。それも大赤字だ・・・・  だから何かを選び、そこに集中しなければ成果は得られない。 それが成功した多くの経営者の言い分だ。 皆さん方から自社の経営のあり方に関する話を伺うことがある。事業承継や事業転換、あるいは資金面から事業計画の見直しなどだが、そこでも同じことが起こる。 成すべきこと。やらなければならないことはたくさん抱え込んでいる。 話を進めると更に増えてゆく。 当然 そこには優先順位をつけなければならないが、皆さん方が抱える最優先順位の事柄は常に複数であり、それも五つ六つとあり同時進行を考えている。
そんな時の私からのお勧め「何でもいいから自分が一番行いたいことから始めたら・・・。 但し一つだけ!」その後の推移をみると、どうも同時進行への思いが優先するらしい。そして経営改善への思いはいつか薄れてゆく。
まことに【選択と集中】である

【禅】H26.01

【禅】という言葉を初めて知ったのは小学校の2年の時(昭和17~8年)。活字に飢えていた小生意気な子供は家中の本を片端からの読みまくり状態だった。そんな子供の目に留まったのが吉川英治の「宮本武蔵」。
分厚い本を一気読みして、さらに2~3度繰返し読み返した覚えがある(当時の書籍には少し難しい漢字にはルビが振ってあった)。 その小説「宮本武蔵」の中で、剣と禅とは一致するという文脈にいたく気を引かれ【禅】とはいかなるものかと家人に聴きまくり困らせていた。(ネ- 小生意気な子供だったでしょう)

経営の世界で【禅】が大流行である。経営破綻が囁かれた日本航空(JAL)を会長就任から僅か1年で黒字化し、とかく問題視されていたJAL従業員の意識改革まで成し遂げた京セラ創業者の稲森和夫氏。 独特の経営哲学に流れる【禅】の教えを通した"稲森流”経営が多くの経営者の心に響いたのが発端だと喧伝されている。 さらには能力主義全盛の時代に「心の経営」を説く稲森和夫氏を慕う中小企業経営者の会の”盛和塾”会員は8,000人を超えているというのもその証。  "稲森流”経営の主張を私流の解釈ですれば『事業の目的・意義を明確にし、具体的な目標を掲げ、強烈な願望を心に抱き、その実現に集中する』
なにか、ドラッカーに似ていない?

松永文宏税理士事務所は
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TKC全国会
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東海税理士会所属

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