「所長のこらむ」

このページは、松永会計事務所新聞の「所長のダンディコラム」を掲載しています。

【 時 代 No.15 (経営改善計画策定支援事業) 】H30.11

 2008年(平成20年) リーマンショックにより、金融市場を始めとする世界経済は大きな影響を受け、各国それぞれの対策を打ち出しました。我が国でも苦境に追い込まれた中小企業向けに政府が打ち出した支援策の一つが表題の事業です。 借入金の返済に苦しむ企業が、経営改善計画書を金融機関に提出することで 借入金の返済猶予を受けられる制度を国が創設。 その計画造りを支援するために外部の専門家(税理士・会計士等)がこれに当り、掛かった費用の一部を国が支援する仕組みです。 職業柄、国にお金を入れる(税金)経験はあっても、逆の流れの業務はなく物珍しさもあり早速手をあげ、24年11月に認可を受け事業に関わることとなりました。 
 松永会計では決算時に翌期の経営計画書作りが基本作業だったので、これをベースに社内会議方式を絡め、対象企業の業績回復を果たせれば。と 関与先3社を対象に安易なスタートを切ったところ、予想外に手強い相手(金融機関プラス行政)でした。関係する金融機関側からは それぞれ貸金確保の立場からの主張があり、行政からは法文の厳密施行を要求され、対応に四苦八苦の状態となってしまいました。当方の思惑では、計画造り2分管理指導8分を予定したのですが、実態は計画8分管理2分。予算もそのような配分でした。  中小企業での結果は経営者次第であることは承知していたので、当初は改善計画書を早期に仕上げ、計画に沿ったフォロー体制を会議方式にダブらせ結果に結びつける予定でした。 急遽 予定変更、計画造りに時間をかけることとしました。  着手後 完成までの期間:1件目6ヶ月、2件目は11ヶ月、3件目2年10ヶ月。主取引金融機関を交えて月複数回の打合せを重ねて経営改善計画書を完成させました。 結果・・・3社とも計画書完成時には黒字化でき、社長たちの気持ちの変化を実感しました。  マコトに・・・会社は社長次第との思い。

【 時 代 No.14 (一人三役) H30.10

 中小企業経営者の大多数の方は、自らの事業で担っている主要な役割が三種類あります。
① 決定(方針・事業内容・その他)   ② 資金 ③ 実行((ヒト、モノによる事業の運営)・・・・
事業を始めるには、①行うべき事業は? 方針は? その他諸々を決め、②必要資金を調達、③資金によってヒトとモノを集め 決められた事業を実行し その成果を社会に送り出す。 社会がこれを受け入れてくれれば 売上となって資金が戻ってくる。そして次なる③のサイクルに繋げ 事業は継続する。 サイクルが繋がり続ければ企業は成長し 永続に結びつく。  
 今を時めく一流上場企業もその黎明期は4畳半一間や裏店で始まっています。そして成長に伴い ①株主総会(株主) ②取締役(会長など経営決定者集団) ③社長以下全社員の業務執行集団の3機能が独立分離し、相互に関わり合いながら社会から成果を受けて企業を成長継続させます。その成果を ①株主=配当金 ②取締役=役員報酬 ③社長以下社員=給料 として受け取る仕組みが会社です。 基本は社会が受け入れてくれるモノ(物・サービス)を提供し続けることにあります。  社内のコントロールを失い反社会的な行為に走る。 と、世の反発を受け あえなく倒産に至る危険を招きます。直近ではスルガ銀行です。苦境に陥った東芝があります。創業者一族による①②③にまたがる身勝手な経営、或いは保身に走った③の専横と②の無責任さが招いたものです。ゼロからスタートした大多数の中小企業の社長さん方は、この三つの役割を一身に背負い日夜頑張っておられるのです。社員に向かって思いを語っても容易に届かないのはそのためです。「コンプライアンス(公正な事業の遂行)」「ガバナンス(企業の内部統制)」はそのためにあります。30数年前、夫婦二人だけの会社であった出来事を契機に始まった松永会計お薦めの会議方式は、三つの役割を活性化する解となり得ます。

【 時 代 (新会議方式の定着) XIII 】H30.09

 出向くか 招くか の違いはあっても、問題を抱えている企業に対する金融機関を交えての会議は好結果を生みだした。 赤字から抜け出し黒字化した会社。 黒字化しないまでも改善に向けて着実に歩み出した会社など、対象企業の全てが慢性的な赤字状態から抜け出すことができた。
 会議は毎月開催が基本。 名称はその会社の実情に合わせて取締役会、役員会、経営会議、業績検討会等 様々である。 出席者は、会社:社長と関係する担当者。 金融機関:その会社の担当者場合によっては支店長や融資業務担当者など。 会計事務所:その会社の担当者、所長、書記。
会議の在り方も経験を重ねる中で   前回の議事録の読み上げ関係者が署名をする(1ヶ月前の会議内容を記憶している者はほとんどいない)。 前月と期首からの累計数値の報告とその評価。  会社として行うべき行動の報告。  その他自由討議。 の順で行われる。所要時間は1時間を目途にしているが、内容次第で時間超過に及ぶこともある。
 このような形で行われる新会議方式は10年ほど前に始まり、その間に接触した支店長は数十名に及ぶ。この会議方式を進化させたい思いから、会議後の雑談時に支店長方に話を伺った。驚くべきは全ての方が このような会議は初体験だということである。 金融機関側の立場で考えれば、融資先企業の情報が適時に適正な形で入手でき、内容についてのヒヤリングが可能となり、企業の財務を担当している会計事務所からの話を聴ける機会でもあるのに。 更には、金融行政機関からは「事業性評価」が求められている現代において・・・何故?・・・の思いは強い。
 「新会議方式」と称するのは、松永会計創業時の昭和年代に、夫婦だけの企業での「夫婦間だけでも意思疎通は仕掛けないと保てない」の体験から始まった会議方式が母体となるからである。

【 時 代 (決算書の信頼性) Ⅻ】H30.08

 会計参与制度に関わる会合で聴かされた金融機関からの一言、要は「中小企業の決算書は信用できない」。  その一言を静岡に持ち帰り、経常的に開催されている金融機関関係者との会合で紹介したところ、堰を切ったかのように同趣旨の発言が相次いだ。あまりの激しさに驚かされたが、積年の鬱憤が言わせたのだろうと受け止めるしかなかった。  話し合いの結果、問題事項については 新たに制定された『個別注記表』に記載するよう努力する。に落ち着いた。 以後 その趣旨に沿った決算作業に努め、金融機関に対して可能な限りの情報開示を心掛けてきた結果、関係者からはそれなりの評価をいただけるようになった。との思いはある。
 会社経営を維持発展させるためには志(ココロザシ)と資金が必要となる。志は誰でも持てるが資金が続かない、で あえなく倒産に至る。はよくある図式。 そこを凌ぐには金融機関の支援。となるのだが、経営者諸兄はなべて金融機関を苦手とする傾向が見受けられる。原因は前段で触れたように、金融機関が中小企業の決算書に対して抱く根強い不信感が背景にあることが原因ではないか思う。さて、どうしたものか から始まったのが、月次で行っている取締役会における業績検討を主取引銀行で開催してみる。との試みであった。 債務超過乃至はそれに近い会社・・・金融機関側から見れば問題企業となるのだが、開催は金融機関に出向いて、或いは金融機関を会社にお招きして事績検討会を開催してみた。 結果は上々。経営者は何をなすべきか? 行ってはならないことは何か、などは百も承知。それでも、それが続かないが現実となっている。 ところが、それを他人に聴かれる・・・ましてやその他人が金融機関となればなおさらであろう。 会議で話した内容への意識が強く残るためかと思うのだが、結果が数字に見えだすようになり出した。 確かな手応えである。

【 時 代(会計参与③)Ⅺ】H30.07

 会計参与制度の推進を図るために まずは実践あるのみとの考えから、制度設計に関わった職業会計人(公認会計士、税理士)は会計参与に就任すべし との申し合わせもあって、私も関与先4社にお話して会計参与に就任し実務経験を積むこととなる。 会社法が求めるレベルの決算書類を作成し「会計参与報告書」を添えて保管・・・・求めに応じてこれを提供する役目を担うこととなる。  中心となるのは一定のレベルで求められる 信頼性の高い決算書作成となるのだが、   既に20年余の実践を重ねてきた書面添付の実績をベースにすれば問題なくクリアすることができた。 が、並行して行った啓蒙活動として 全国各地で講演会やシンポジウムを行う中で、中小企業の決算書に抱く根強い不信感を知ることとなる。 
 各地で開催された講演会等は 税理士や会計士を対象にしたもので、会計参与の制度に至る背景や実践上の留意点などをテーマに、主たるプレィヤーは会計学分野の学者、制度に高い関心を寄せる金融機関関係者、それに実務家としての税理士がこれを担当した。 幾度か顔を合わせるうちに、意見交換を兼ねた会合も持たれるようになった。 そんな席上で金融機関の関係者から遠慮がちに言われた言葉が記憶に残った。 「中小会社の決算書は、銀行での基準で読むと理解できないことが多くあります。相当以前に倒産した会社の売掛金が記載されていたり、利益が少ないとの理由で決められた減価償却計算を見送る。 商品仕入のための融資を申し込んでおきながら 直前の決算書には半年分を賄える在庫が計上されていたりするんですよネ。どうしてなんですかネ」・・・・この発言に影響されたのか、 他の金融機関関係者からも同種の発言が続いた。 なんとなく気まずい中で会はお開き。  内容を自問自答しながら静岡へと戻った。

【 時 代(会計参与②)Ⅹ】H30.06

 平成17年7月26日に公布された「会社法」が 平成18年5月1日に施行されたことにより、「会計参与」制度も実効性をもって動き出すこととなる。 会計参与の役割は、取締役(社長)と共同して計算書類(決算書)を作成し、これに一定の責任を持つ任意の制度である。  
 外部監査はアメリカEUなどの経済先進国では当然のこととされている制度だが、日本では上場企業などを除き制度化されていなかった。そのための不都合の代表例は銀行からの借り入れである。地域の中小企業では証書借入であっても不動産を担保に取られた上 社長の個人保証まで要求される。まことに命懸けの借り入れとなっている。他方 上場企業をはじめ大手中堅企業には、電話一本、紙切れ一枚で借入は可能と言われている。差は何か?・・・計算書類(決算書)の信用力である。外部監査人の監査を受け、その監査証明を持つ大手企業では、その信用力により担保、保証人なしでの融資が可能となっている。会計参与制度は、この不都合な現実を是正する突破口となりうるとの思いをもって制度定着に向けての活動に入る。
  制度定着へ向けての狙いは二つ。 まずは数。県内の税理士、公認会計士であるTKC会員に会計参与就任を働きかけるために『34の会』を立ち上げた。会計参与のサンヨをもじり、せめて34人位の仲間が欲しいとの思いからである。  もう一つは、決算書の唯一ともいえる利用者である金融機関への働きかけである。県中部地区の銀行信金に呼びかけ、会計参与就任者との交流会を設定した。 会計参与制度の周知と、利用者である金融機関側の考えを取り入れるためである。『34の会』はそれなりの成果があり、予定した就任会員を得たが、金融機関相手では、中小企業の決算書をめぐる現実を知らされることとなる。

【 時 代(会計参与)Ⅸ】H30.05

 『正しい決算に基づく正しい税務申告をする』・・・・当たり前すぎる書面添付の普及活動も徐々に実を結びだし、税務当局もこれを積極的に評価しだした平成10年代半ば、新たなる制度設計に関わることとなる。
 会社法制に関する従来の商法、有限会社法等は、カタカナ文語体で表記されており、これを利用者に判り易ひら仮名口語体に改めるとともに、重要な規定が多くの法律に散在し利用者にとって判り難いものとなっていたのを、表記を平仮名・口語体にし、各種制度を見直して再編成することとなった。  この作業を進める中で会社経営の健全性の確保のために、会計参与制度の創設が図られることとなった。 上場会社など大会社に課せられている会社計算の正確さを証明する ための会計監査人制度が持つ機能を、大企業以外の中小にも持たせようとするのが狙いである。
  中小会社の書面添付推進活動に関わっていた経歴からだと思うが、実務家としての意見を聞きたいとのことで、以後 立法に関わっている法務省や学会の方々と接する機会が増え出した。会社法は平成17年7月に成立し18年5月から施行されたが、松永会計の在り方を見直す転機となる貴重な経験となった。 夫婦だけの会社のもめ事を機に始めた取締役会の開催や議事録の整備などは、会社のガバナンス機能の整備であり、会社経営の効率化には欠かせないツールであるとの思いを改めて強く持たされる機会ともなった。  会計参与制度が定着するか否かの雑談話がある。国税と法務の担当者は初年(18年)に千名が就任したら大成功だとの予測を立てたが、当方は実務家としての立場もあり千名超を主張した。結果は彼らの勝ち。  以後 制度定着に向けての活動に入る。

【 時 代(決算書の信頼性)Ⅷ】H30.04

 TKC全国会が書面添付体制造りに取り組みだした平成初期、TKC静岡会での普及活動に従事することとなった。当時 TKC静岡会の書面添付実践状況は300会員中10会員にも満たないパーセンテージ状態であった。 そんなTKC静岡会でも全国レベルでは最先端と評価され TKC全国会での普及活動も任されることとなり、以後10数年間は北海道から沖縄までを走り回ることとなる。当然のことながら、事務所にいる時間は削られることとなった。 が、書面添付の有難さを知ることともなった。 既に松永会計では全件が書面添付対象であり、一定のルールに従って行われる巡回監査と決算申告作業は、作業内容及び記録面での透明性と正確性の高さを作り出し、次第に税務調査との縁が遠くなったことで それが実感できた。この間 事務所スタッフには多くの迷惑と苦労を掛けたが、改めて感謝したい。 役目柄 全国の税理士事務所と交流し 名だたる会計事務所の実態を知るチャンスを持ったが、間違いなく書面添付実践という背景を持った第一級の事務所スタッフであり、私にとっては自慢するに足る彼ら彼女らである。
 平成10年代に入ると 書面添付と言えばTKC と言われるようになり、業界内での存在感も増すようになった。 税務当局も書面添付制度を評価したのか或いは税務行政の効率化もあってか、積極的に書面添付の実践を支持するようにと変わりだしたのである。 推進作業も質的な変化を見せだし、全国的な会議と税務当局や税法学研究者との交流が増え出した。これが次なると結びつく。

【 時 代(決算書の信頼性)Ⅶ】H30.03

 税理士法33条の2による書面添付(以下 単に書面添付)。 制度の内容は、税務申告書を作成した際に、税務の専門家としてどのように相談を受け、関与し、調製したかを 書面にして添付し申告する。 申告書が調査対象となっても 調査着手前に関与税理士に疑問点の照会があり、疑点が解決すれば調査は行われない。 という 申告納税制度の下では至極当たり前の制度・・・なのだが・・・税務申告書の最終的な監査は税務調査だとする時代にあっては異端の作業とされ、書面添付の輪は遅々として広がることがなかった。  平成の時代に変わった頃には、松永会計では全関与先への書面添付の体制造りが出来上がり、特殊な例(関与先企ではなく その企業の取引先が行った脱税や不正経理処理に関連しての確認調査などがほとんど)を除き 次第に松永会計は税務調査との縁が遠くなり、調査立会の経験を持たない監査担当者も増えてきた。 
 平成10年代半ば 税務署側の態度が変わりだし、書面添付への積極的な取組要請が出されるようになった。それは年を追って強くなってきている。 にも拘らずである。全国300万の法人企業への書面添付率は未だに10%に満たない。 こんな素晴らしい制度を・・・・である。信じられない思いだ。  同業諸兄に聴かれることが多い・・・・書面添付をして税務署から睨まれないか、みせしめ調査はないか・・・等々である。30年以上前の時代を引きずる諸兄に暗澹たる思いである。税務調査に対する恐怖心か?  それとも 作成した申告書への自信のなさか。 理解不能な業界である。

【 時 代(決算書の信頼性)Ⅵ】H30.02

 昭和の時代、業界には『オミヤゲ』と称する習慣が存在していた。 一般的な会社には3年に1回の頻度で税務署の調査があり、問題ありの会社なら ほぼ毎期 調査が行われるのが通例となっていた。 会社経営者にとっての税務調査は身近な存在なのだが、調査にあたる税務署員の闘争心を煽らないために、脱税に至らない軽微な間違いを用意しておくことを『オミヤゲ』と呼んでいた。一部ではあろうが、企業に関与する税理士にとっても二重の意味で歓迎すべきことと受け取られていた。調査があれば、税務署との友好的な関係がアピールでき、それ相応の調査立会料収入を受け取ることができたからである。 
 当時 調査する側にいた私にとって『オミヤゲ』は屈辱以外の何物でもなく、むきになって調査をしていたものである。 そんな経験もあって税理士稼業を始めるにあたり、調査されても修正されないような決算書 申告書の品質を自分に課す意味から、調査立会料を受け取らないことを方針としてきた。  但し そんな時代に税理士法33条の2による書面添付(以下 書面添付)を行えば、当局側の闘争心を掻き立てることは容易に想像できた。 案の定というべきか調査の嵐に巻き込まれたが やがて嵐は過ぎ去り、現在では年に数回 税務署から電話を通して提出申告書に関するお尋ねがある程度で、いつか調査とは縁遠い松永会計となった。 この間、書面添付になじめず去った関与先もあったが、書面添付に協力頂いた関与先を守るためには止む無しと割り切った。

【 時 代(決算書の信頼性)Ⅴ】H30.01

 飯塚毅先生からの啓示によって税理士法第33条の2(書面の添付)を知り、長年に渡るもやもやから抜け出すきっかけを得、会計事務所としての方向性を定めることができた。 昭和50年代の終わりころである。 但し迷いはあった。「役所の中の役所」である税務署を相手に、彼らが理解できていない制度を使った局面での反発は相当なものであろうとの予測は立った。日本のお役所が持つ特質に、知らないことに対する警戒と反発は尋常ではないことを知っていたからである。(現職時:審理や審査を担当していた時代を含め税理士法第33条の2(書面の添付)の存在は知らなかったからである)。 
 それでも迷いを振り切って(書面の添付)の実践に入った。 関与先の了解を得ながら、一件 また一件と件数を伸ばした。 当初は然したる反応もなく ヤレヤレと思っていたが、間もなく嵐がやってきた。 それは正しく嵐と呼ぶにふさわしかった。 (書面の添付)案件に対し次々と調査が始まったのである。 それも鬼をも泣かすと言われた国税局の資料調査課案件として行われたり、税務署の特別調査グループによる調査が行われた。 協力していただいた関与先に対し申し訳なく思いながら必死の思いで対応をした。 何よりつらかったのは 長い間の付き合いを重ねた友人達が、調査に際して文字通り「牙をむいて襲い掛かってきた」ことであった。結果は、いずれも軽微な計算ミスに基づく修正はあったが、嵐も過ぎてみれば今の松永会計を支える礎となっている。調査の対象となった関与先とは、折に触れて当時の話が出てくる。 何か、共に戦った戦友に似た気分である。

【 時 代(決算書の信頼性)Ⅳ】H29.12

 半年間の浪人期間。 お役所勤めの垢落としと、これから始まる松永会計事務所の在り方を考えていた。当時 会計事務所の成否は税務署への対応次第とされていたが、その道を選ばず決算書、申告書の正当性を主張できる存在を思った。しかし どのような手段でこれを実現するかが考え付かない。 そんな時に二人のM君からTKCの入会の誘いを受けた。 TKCに関しては承知していた。いくら協調時代とはいえ、真正面から税務署と対峙する会計人は存在し、TKCもその一つとしてよく知られていた。税務署サイドから見れば厄介な存在と考えられていた。が、親友を信じた。
 開業 即TKC入会。 世はコンピューター時代の黎明期。慣れ親しんだ算盤からキーボードを打ち続ける作業に四苦八苦。穴をあけたテープを計算センターに持ち込む。翌日 出来上がり資料を受け取り、関与先への内容の説明・・・・そんな日々の繰り返しに追われ、己の目指すべき方向も見失いかけていた時、たまたま来静したTKC会長の飯塚毅先生と機会を得て、かねてよりの自分の思いを話させてもらった。その時に受けた多くの教えによって、以後の松永会計が形作られて行く。
 最も大きな影響を受けたのは、税理士法第33条の2(計算事項等を掲載した書面の添付)。内容は、「税理士は申告書の作成に関し、計算し、整理し、相談に応じた事項を記載した書類を申告書に添付できる(一部略)であった。 在職時代から思い続けていたことが法律として存在していたことを知り、積年の思いから解き放され、進むべき道が開けた。

【 時 代(決算書の信頼性)Ⅲ】H29.11

 60余年前。 奉職した税務署法人税部門では、申告書への信頼度が実に薄く 実地調査対応が主となっていた。 20年ほどのキャリアヲを積んだ後に審理・指導を担当した時、提出された法人税申告書のあまりに多い初歩的なミスへの対策として、企業の経理担当者向け講習会開催 を試みたところ、幸いにして評判も良く 毎回大盛況となった。 評判を知ってか、或いは同憂の思いからか。近隣の各署でも講習会が始まった。が、これが災いの元となる。 時代は信頼度の薄い申告書を間に対峙する企業と税務署。 調査主体で動く現場から 「納税者を甘やかすな!」などの声が上がり、やがては講習会にストップがかかる。 (当時と異なり 現在では納税者第一。講習会は花盛りである)
 そればかりが原因ではないが昭和54年6月、辞表を提出。 経済同友会メンバーの方の紹介で同じビルの一室を借り諸事整理に当たった後、同年11月に税理士事務所を開設した。 この間の半年、 考えたことは どのような事務所にしようか??・・・・ で、取り敢えず 税金計算用や融資導入用の決算書作りはご免で、 企業経営に役立つ仕事をしたいだった。 何人かに相談するも 趣旨には賛成してくれるが具体策の示唆はなく考えあぐねていた時、たまたま開かれた税務署同期の集まりで、久しぶりに会った年来の友人 二人のM君(既に税理士業務を開設従事)から、彼らが所属するグループへの誘いを受けた。TKCである。  二人のM君とは、熊本・名古屋を通して1年間の新人研修を共にした仲であり、心を許す仲間でもあった。 即入会。 生涯の師と仰ぐ人物と出会う。

【 時 代(決算書の信頼性)Ⅱ】H29.10

 60年前 私の税務署勤務の初期。税務署は企業から提出された申告書に対し信頼を置くことなく、全申告書に実地調査を行うのが基本となっていた。 
朝鮮戦争終結後の不景気から脱し、到来した高度成長時代に入ると 急速に増加する法人企業に調査人員が追い付かず、申告の一部に対し調査を省略する制度が始まった。 が、その切り替え時、この制度に対する現場の調査担当者の抵抗感が相当に激しいものであったことを覚えている。それまでの全ての申告書を疑って調査を行ってきたのに、その一部にせよ調査を省略せよとの命令に対する反発である。 何事にせよ 従来の制度変更には困難が伴うものである。 
 年を追って調査省略の割合は増加し現在につながるが、他方 調査という緊張感が薄くなったためか、昭和40年代半ばに入ると申告書の内容にミスが目立つようになり、その対応として審理や指導の専担者が設けられ、私もそれまでの調査専担から審理・指導を任せられることとなった。  
始めて気が付いたのだが、申告書に限らず決算内容を含めまことに初歩的なミスが多い。その都度、調査担当への連絡や会社を呼び出しての指示を重ねる中で、何とかしなければとの思いから申し出、企業の経理担当者向け講習会を認めてもらった。内容は決算書や申告書作成での誤りやすい問題点 (サンプルは手許に山ほどあった) の講習で 評判も良く毎回大盛況。やがては税務署長表彰も受けることとなった。 近隣税務署でも同種の講習会が始まったが、そのことが災いとなる。

【 時 代(決算書の信頼性)】H29.09

 60年前。税務署法人税課の新米調査官で、連日 仕事に忙殺されていた時代。企業が提出する決算書の信頼性は相当に低いものだった。 資金を借りなければならない銀行向けは利益を仮装した粉飾決算書。 逆に 税金を払いたくない税務署用は利益を削ったり見せかけ赤字とする逆粉飾決算書。配当用や社員向け、さらには親会社や取引先用等それぞれの事情に合わせた決算書の数々。 多彩を極める決算書の中で、ついには本物を見失うという笑えない話も聴かされた。 
 四半世紀のお役所勤めから現在の仕事に就いた昭和50年代半ば。 世の中の落ち着きに合わせて決算書の信頼性も徐々に回復してきたものの全面的信頼性は????  当時 決算時期に社長と会計事務所の間で取り交わされた決まり文句「もうスコ~~シ・・・どうにかならない?」「在庫を見直して節税対策しない?」 などが取り交わされた。対する松永会計の返答は勇気を込めて『どうにもなりません』。 当時 税務署での常識では、節税対策は限りなく脱税と同義語だった。
 時代は下り平成17年。 会社法制定に絡む決算関係書類の中小企業対応について、意見交換やパネルディスカッションを共にして親しくなった某銀行部長の言葉が忘れられない。「銀行では提出された決算書を信用していない。全て引き直しをしています。特に棚卸資産、売上債権、減価償却資産は大問題です。個別注記表にどう表現してくれるのですか? お判りでしょう!」。決算書の信頼性をどう作り上げるか。 それから松永会計では新たな挑戦が始まった。

【後継者問題】H29.08

 最近、コンサルタント事業者や金融機関関係から事業承継に絡むアプローチが多い。
 松永会計では、監査関係業務に限らず社内会議などを通して関与先企業と接する機会は多い。 気が付いたことがある。 全ての関与先企業に共通する課題は、後継者問題ではないかということである。 議題として取り上げたり、話題の中で触れられたり、会社側の会話の中から感じ取られたり、人材不足の嘆き、社員教育、社内コミュニケーションの悪さや風通しの問題 等々。さりげない取り上げ方であったり、冗談めかした表現だったりするが、内心的にはかなりのプレッシャーとなっているのではないか、と思う。
 有限の人の命と 永続しようとする企業の間のジレンマだが、間を繋ぐのが後継者問題となる。 経営者には資格がいらない。と、いうわけではないだろうが、ある日ある時、突然思う。 最も身近である我が子を後継者にと考える。 理由はただ一つ。俺にさえ社長が務まったのだから俺の子供にもできる。 さて、その先に何があるか。 見えてくるのは、自分ではないもう一人の自分である我が子の現実である。

【ゼムクリップ】H29.07

 一時期 経営者諸兄との話の中で よく取り上げたテーマである(記憶レベルだが十数社)。 
(当方) 「社内で通路に落ちているゼムクリップを見つけたら?」  
 (社長)『拾うさ!』が100%「拾ってどうする?」・・・・『取り敢えず 近くの机の上に置く』 『自分のデスクまで持ってくる』 『近くにいる社員に渡す』 『さあー??その他』が答。    次なる質問に移り 「どうして拾う?」『勿体ないから』 『気になる から』 『見苦しいから』 『なんとなく』等々・・・・・。 

 同じ質問を社員に向けたらどうだろうか。 試みたことはないので定かではないが、最初の質問「見つけたら?」に対する『拾うさ!』100% はないことは確か。 理由は、接触のあった会社でそこができている会社は、記憶レベルを含めお目に掛かっていないからである。   で、諸兄との話の続き。落ちているゼムクリップを拾う拾わないの違いが社長と社員との差、雇用者と被用者の差、マネジメントする者とされる者との差、さらには人を使うという意味へと進む。
 松永会計ではどうか。ご多分に漏れず多くの事業所レベルであり、根気よく拾い続けている。但し、日頃 接触する経営者と被用者である自分たちとの違いについては、折々話をする。

【為(な)せば成る、・・・】H29.06

 子供のころ、父親から聴かされた言葉だ。  武田信玄が残した至言である。 
為(な)せば成る、為(な)さねば成らぬ成る業(わざ)を、成らぬと捨つる、人のはかなさが全句。 信玄の嘆きは 今も昔も変わらない。
 何故に 父が小学低学年の私に言ったのか不明だが、職業軍人であった父は戦局の危ふさを知って語ったのだろうか・・・・今は問うことができない。
信玄の言葉には原典はある。 為(な)さざるなり。能(あた)わざるに非(あら)ざるなり(孟子「梁恵王章句」)。 できないということは、できないのではなく、やらないということだ。 が その意味だが、「人にとって、出来ないということは、出来ないと心の内で決めたときに出来なくなる」 やろうとする強い意志が持続している限り、迷いが生じても振り切り 完遂することができる。と 理解している。  関与先各社で各種の会議に参加することが多くなる中で、経営者諸兄が ことを継続すべきか否かで大いに迷うなど、意思決定に苦しむ局面にしばしば出会う。そのような時、心の中で信玄の句を唱えながら、諸兄にエールを送っている自分に気づく。
 『知足』という言葉がある。 満足を知る は処世のうえでは大切なことであるが、度を過ぎれば沈滞を招き 滅亡への道となりかねない。 人を行動に駆り立てる原動力は欲求に他ならないが、こちらも度を越せば世の指弾を受ける。 会議に投じ込まれる悩みは多種多様であるが、語り合うことが解に結びつくと信じている。

81(無限大)】H29.05

 昭和10年(1935年)生まれは当年81歳。  81に結びつく奇妙な思い出がある。   70数年前の我が家。  4歳年長の姉は小学低学年。学校から帰り次第意味不明の呪文を唱え始める。        「ニニンガシ、ニサンガロク、
ニシガハチ・・・・・・クハシチジュウニ、ククハチジュウイチ

そして「ニニンガシ、ニサンガロク・・・・」に戻る。 また 戻る。 マタマタもどる。 ご存じ「九九」の暗唱である。  そのころ数に関心を持ち始めたらしい就学前の弟。  幼稚園にも行かず暇を持て余す身には格好の暇つぶし材料。 訳も判らずに「ニニンガシ、ニサンガロク・・・・」時々母親のダメを受けながら唱え続け 何時しか完全に呪文を覚えこむ。  他方 1から100までを一息で言い切ることにも挑戦していた(らしい)ので、どうやらこの呪文が数(カズ)に関係していること。100までの数より「ニニンガシ」の方が上等な数(カズ)であるらしいと気付いたのではないか。 81(ハチジュウイチ)で終わりの呪文の方が、何故に100よりも上等なのか。とまことに理不尽にして素朴な疑問を身近にいる姉や母親にぶつけ始めた(らしい)。当然ながら 4、5歳の子供に納得させられるような答えもなく、おハチは6歳年長の次兄に回された。 始めは相手をしてくれた次兄も面倒になり、お決まりのポカリ。 最終的には10歳年上の長兄に回された(らしい)。その先はどうなったかは定かではない・・・・(以上は今は亡き母親の後日談で本人の記憶は全くない)。 
 表題のもう一つのテーマ∞(無限大)には鮮明な思い出がある。 ある日ある時。長兄の勉強部屋である四畳半の窓際に腰かけ長兄と数(カズ)の面白さに関する話をしていた。「フン坊(家庭内での呼称)。お前がこれからやれることは無限にある・・・・・」の後でマークを教えてくれた。なぜ数(カズ)の話をしていたかは不明だが、「九九」が背景となっていたのではないか、と思う。

【三種類の決算書】H29.04

 60年も前の遠い昔 昭和30年代のこと。 名古屋界隈の税務署に勤務し、法人税の調査に明け暮れていた。 法人税申告書は全件を調査する時代であり、年間の調査件数は100件を超え、加えて上席先輩諸兄の手伝いがあり、連日深夜までの勤務と休日出勤が常態となっていた。   話は長時間勤務がテーマではなく、そんな時代での納税者(会社)対税務署の攻防戦のお話。太平
洋戦争の敗戦で叩きのめされた日本。  隣国で起きた朝鮮戦争がもたらした好景気も過ぎ去り、空前と言われた大不況時代が背景。  
 当時の法人(会社)に課された税金は実効税率で70%。 1000万円の利益があれば700万円が税金(つまり現金で700万円も払わなければならない)。 利益が現金で残されているわけもなく、売掛金となり、在庫となり、土地や建物、機械などに化けている。手元に払える現金は残されていない。正直に申告していたらたちまち倒産の憂き目にあってしまう。 無い知恵が選んだのは 払える税金の第2決算書 で・・・全件調査・・・。 全部が全部ではなかろうが、決算書が信用できないが前提の調査なので、調査する側も大変。される会社も心得たもので『オミヤゲ』と称して ミエミエの間違えを準備しておく。ご丁寧に付箋を付けたり話題で誘導して気付かせる。以上はそれなりに利益のある会社。マッカッカの赤字会社は怖いもの知らずのデタラメ決算書・・・。そこで、全件調査の全件修正がスタンダードとなる。 問題なし(申告是認)の調査報告をしようものなら・・・・正面に座る鬼の係長が怒声とともに報告書を末席の新人めがけて投げ返してよこす。以上は税金の話。それでは銀行にはどう対処するか。ご心配なく・・・それなりに利益のある第3の決算書が用意されていた。 では本来(第1)の決算書は?・・・・社長の手許でヒッソリと・・・。

【月初会議】H29.03

 月の初日に開かれるR社の「月初会議」には可能な限り出席させてもらっている。 R社がそれまでの木工家具関係製造に見切りをつけ建築用部材の樹脂加工に業種転換したのを機にお付き合いが始まったのが平成24年9月。 25年3月に立ち上げた月次の経営会議の中で月初会議の存在を知り、押しかけ参加の始まりが25年8月。  月に1日の15分だが中身は濃い。
 事務所2階の殺風景な空室スペース。 会議は始業前の8時45分開始 始業時の9時には終了。 前方のボードには、前月の取引先別の売上額と当月の売上予定額。 前月に発生したクレームの概要が簡記されている。  社長以下20人に満たない全社員が参加。 社長が前月の売上内容とこれがR社に及ぼす影響の説明。次いで当月の売上予定の解説(私見・・・ここまでで1ヶ月間の働きの成果とこれから始まる1ヶ月間の仕事に対する理解を共有)。引き続きクレーム内容の解説と関係者との質疑を通して発生原因の究明(クレームの発生原因は例外なく自分勝手な思い込みにある)。最後にその他の質疑。
 以上が会議の在り方だが、参加し始めてから3年余り。感じ入るのは会議の運びが一貫していることと、社長の社員への対応である。会社にとっては不利となりかねない件についても丁寧に最後まで聞き取り、且つ真摯に答え続ける。  世の多くの社長たちが 社員の話を最後まで聞き取らず、途中から自説をまくしたてるさまを知る当方にすれば、真に新鮮な思いを持たされる。
 トップを含めド素人を集めて始まったR社の現状は如何に・・・・。 世の中そんなに甘くはないのも事実。苦戦の連続ではあったが、少しづつ技術も身につき、業界でも知られた業者からの引き合いも出始めている。積み上げた努力がどのような成果を生み出すのか期待は大きい。
 必要と思われる方々には声をかけ月初会議に参加している。関心がおありでしたらスタッフまで

【松永税理士事務所(事業承継)その後】H29.02

 昨年8月。唐突ではありますが の書き出しで、松永税理士事務所の将来を石原立野君に託する旨の報告をいたしました。 当時 何人かの方々から、即引退・・・引継ぎか? とのお尋ねがありましたが、後継者の指名であり事業の引継ぎには時間をかけて徐々に行う予定であるとの説明で了解していただきました。  
 当時(も今も)いくつかの関与先企業では事業承継に係る問題を抱えています。当事者にとっては長い間の懸案であるのですが、部外者には ある日突然噴き出す問題でもあります。 松永税理士事務所の場合も事業承継は長い間のテーマであったのですが 思いに添った者も現れず、私の中では自然消滅も止む無しと見定めておりました。しかし、石原君という人材を得たことによって懸案解決へと踏み出したのですが、皆様にご心配をおかけしたことに忸怩たる思いが残ります。
 ドラッカー的に見れば 税理士事務所も組織です。組織には それぞれ果たすべき使命があります。
 松永事務所では法的使命である〘専門家として独立した公正な立場で納税義務の適正実現〙を背景に、適正な財務情報によって企業の発展を支援する。ことを思いとして業務展開を行って参りました。  石原君を後継者と定めた主な要因は彼の中に同質の思いをみたことにあります。
 とは言っても足らざるものは多々あり、法的感覚の習得や会計知識の積上げ 関係する業界や社会への参加 人材育成など、様々な分野に挑戦してもらっています。喜々とは言わないまでも新たなる世界に立ち向かっているようです。 松永会計が変わりだすのも近いとの思いでいます。
  トコロで・・・・・おまえはどうする・・・・・
    う~~~ン 元気でゴルフ 90歳までやっていたい  デス


【今回は『ドラッカー教室』開設の動機】H29.01

 W社 N社長が唐突に口走った一言「もしドラ 知ってるか?」を契機に、平成23年8月に始まった松永会計の『ドラッカー教室』も今年で7年目に入る。毎週水曜 会議日の枠内で1時間30分程度を掛けて続けている。 テキストは ①【エッセンシャル版】マネジメント基本と原則に始まり ②経営者の条件へと進み ③現代の経営上下を昨28年12月に完了。 今年1月から新たに取り上げるテキストは ④マネジメント(課題、責任、実践)上中下となる。・・で・・ドラッカー教室開始の動機は??
 ドラッカーの言によれば、われわれの社会は、信じられないほどの短い間に組織社会になった。主な問題は、個人と家族にではなく組織の手にゆだねられた。つまりモノの生産やサービスから医療、年金、福祉、教育、環境にいたるまで主な問題は、個人と家族にではなく組織の手に委ねれれる時代となり、組織抜きでは維持できない社会へと変貌した結果、人々の大多数は組織の下で働く被用者となり、同様に松永会計のスタッフも被用者の立場にいる。
 会計事務所の顧客は事業経営者であり被用者とは違う雇用者の立場にいるので、対応する事務所スタッフは業務を行う上で被用者とは別次元である雇用者としての感覚が必要となる場面に遭遇し、戸惑っているのを目にすることが少なからずあった。 そのような時期に出会ったのが「もしドラ 知ってるか?」であり、スタッフ全員ももしドラを知っていたこともあって始まった『ドラッカー教室』である。 テキストとなる著作物はまだまだある。どこまで続く教室であろうか・・・・・終わりはまだ見えていない。
もしドラ」の正式名称は「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」というナガ~イ題名の小説(著者岩崎夏海:H19.12第1刷)。今でも書店の棚に並んでいる。


【 天知る。地知る。我知る。】H28.12

 母が逝ってから三十数年。私も間もなくその齢を迎える。 焼津の商家から職業軍人である父に嫁ぎ、父亡き後に5人の子供を抱え、終戦(私の中では敗戦である)後の混乱期を乗り越えた母が、小学生であった私に対して繰り返した云った言葉である。 「己に恥じぬように活きよ」と受け止め、生涯の戒めとしている。
『資治通鑑(シジツガン)』が出典で、正しくは【天知る。地知る。我知る。子(ナンジ)知る。何(ナン)をか知る者無し謂(イ)わんや】である。 大意は「天も知っている。地も知っている。私も知っている。君も知っている。それなのに、どうして知っている者がいないと言えるか」であり、他人の目が届かないことをいいことに不正行為を働いても、必ず悪事は露見することを教える有名な言葉である。 後漢(現在からは2100年ほど前)の政治家楊震(ヨウシン)が地方へ赴任する途中、出迎えた任地の有力政治家が夜半を過ぎ頃「今宵は闇夜。月の光もありません。誰にも気づかれる心配がありません。お受け取りください」と金子を差し出した。 その時に楊震が賄賂をはねつけて言った言葉がこれである。   
 別典『後漢書』の「楊震伝」では に替わり【天知る。知る。我知る。子知る】と なっているが、いずれにせよ大切なのは 我知る の一言である。  他人はさておいても、この私が許さないという態度が世を正す根本となると知るべきである。
 ここまで書いて気づいたことがある。事務所内で職員諸君の「これくらいは・・・・」「この程度は・・・・」との言動があった時、あるいは業務処理上で見受けられた場合、ひどく気になり、時にはこれを咎めていることである。まことに 幼小期における親の教えは人格を形成する。と・・・

【 コーポレートガバナンス考・Ⅴ】H28.11

 コーポレート・ガバナンスの主権者は誰か。という命題は、「会社(企業)は誰のものか」という問いかけに置き換えられ、繰り返し議論されている。我が国の法律(会社法)上では、① 出資者である株主が取締役の選任権を持ち、最終的に会社の運営を支配していること、② 会社の事業活動によって生まれた利益は株主に帰属する。の2点から、会社の所有者は株主であるとされているのだが、世の中の多くの人はどう思っているかは別。 少々古い時代の話で恐縮だが、1990年代に西側国の経営者を対象に行った『企業の所有者は株主』それとも『企業は利害関係者全体のものか』との二者択一アンケートがある。日・米・独3国経営者の回答割合は下記の通り。     
                              日本  アメリカ  ドイツ     

                     株    主   3%  76%  17%   
                    利害関係者全体  97%  24%  83% 

アメリカでは多くの人が企業は株主のものである。との一元的所有イメージが持たれている。これに対してドイツは、企業は株主と従業員のものとする二元的所有のイメージ。 日本は 従業員・株主・取引先・消費者・さらには地元の市民など社会全体のものという多元的な受け止め方が強い。それぞれの国民性や制度設計に基づくことと思うが、20年余りを経過した現在でも3国では この色合いは継承されているように思われる。 但し、企業を社会的存在として評価する傾向が強くなっているのは3ヶ国に共通する。
 (復習)コーポレートガバナンスとは何か。 企業の不正行為の防止と競争力・収益力の向上を総合的にとらえ、長期的な企業価値の増大に向けた仕組み。目的は (1)企業不祥事を防ぐことと、(2)企業の収益力を強化することという2点にあるとされている。また、それらを投資家と社会全体の視点から見届けようとする仕組みでもある。

【 コーポレートガバナンス考・Ⅳ】H28.10

 世の中(社会)が必要とするモノ(財やサービス)を生み出すのが企業の本質。 モノ社会に受け入れられれば売上となるが、受け入れるか否かを決めるには社会の側。 良いモノだと信じて送り出しても社会に受け入れてもらえなければ売上は生まれない。 日本の家電業界が凋落したのは社会の欲求のどこかを読み違えた結果だと思う。それは世界を相手にする大企業だからと思う勿れ。 情報社会の進化で世界は小さくなり、反比例して企業を取り巻く世界は広がり続ける。世界を相手に事業する中小企業も多くなる時代になりました。 我が社にもそのチャンスはあると思うのが経営者。あなたも密かに世界を相手にするわが社を夢想したことはあるでしょう。
 社会には良い形で成長を続けてもらいたい。社会の健全な成長こそ企業が永続するための最低条件となるからで、コーポレートガバナンスはそのための仕組みです。 世の中(社会)との調和がなければ企業は、成長は愚か存続さえも危うくなる時代に入りつつあります。 
 松永会計の『会議方式』は企業に社会の風を入れるための方策の一つとして30余年前に取り組み始め、幸いにして今日までの間 続けられたのはそれなりの意味があったものと自負をしています。 『会議方式』には途中から職員を参加させた結果 一定に成果はあり彼ら自ら動き出すようになりました。 その中で彼らが如何に経営に関する知識と感覚がないかを知って5年前から取り組んだのが『ドラッカー教室』。 改めて理解できたのは、経営に必要なものは知識ではなく感覚であり天与のものがあることと、経営者諸兄にはそれが備わっていることでした。 但し、その天与の感性が働かない時があります。事業承継に係る局面では、社会の眼を見失っている場合があります。過日のパーティー時での私の提案は そのような思いから出たものでした。

【 コーポレートガバナンス考・Ⅲ】H28.09

 開催が義務付けられている旧商法を拠り所に開始された小さな会社の取締役会は、お店の奥に続く台所兼食事処で毎月第2金曜の午後6時から行われた。出席者は全取締役3名中の二人(ご夫婦・・・残る1人は岡山在住のご子息) に私を入れての計3名。私の立場は会計助言者として・・・。 
 取締役会では「あれはどうなった・・・」「うん。上手くいった・・・」など大半が代名詞で始まり、当方にとっては意味不明。かくてはならぬと「あれ」「うん」の内容をしつこく質問して理解に努める繰り返しであった。 「あれ」「うん」は相互信頼の証。と微笑ましく受け取っていたが、(しつこい)質問で判ってきたことは 『「あれ」はそういう意味ではない!』 『「うん」と言ったではないか!』などの実態。 つまり確認せずに動いていることだった。都合の悪いことには互いに相手を思う気持ちから一生懸命に働くことだった。場合によっては真逆に一生懸命。という無残な結果と相成る。 そして、この小さな会社の取締役会は、松永会計『会議方式』の原点となる。 「コーポレートガバナンス」の波は大企業に止まらず、やがて銀行の融資判断基準などを通して中小企業に対しても波及してくる。 ガバナンスを支える意思疎通の可否は組織の生命線であり、成長する企業の条件であると信じている。 
 多くの社長が社内意思疎通の悪さを嘆いている。思い出してもらいたい。コミュニケーションの主導権は受け手にある。と本欄では何度も主張してきた。お嘆きの社長がコミュニケーションの受け手に転じたとき、その会社が変わりだしたのを何度も見てきた。転換に成功した社長たちはその原因を思い出すこともない。 チャンスはお嘆き社長の意思の下にある。

【 コーポレートガバナンス考・Ⅱ 】H28.08

 松永会計事務所 創業間もない頃、夫婦で営んでいる店に監査でお邪魔していたときの話。
 突然言い争いが始まった。日頃はお仲の宜しいお二人だったので何事かと思う間もなく「勝手にしろ」の捨て台詞を残してご主人は飛び出して行く。「またア~。ほんとにヤダネ」と奥さん。何やら不穏の空気を引きずる中、監査も終わったところで「すいません」と奥さん。「どうされたんですか」と当方。「ええ。チョット」で引き留められ小一時間。要は「言った。言わない」のよくあるお話。ヤレヤレ、とお店を出てしばらく歩いたところで、勝手に飛び出したはずのご主人にバッタリ。「先生。いいところで会った」とは言っているがどうやら待ち伏せていたらしい。喫茶店に連れ込まれ、こちらでも小一時間。ようやく解放されての帰り道で考えた。よくある事ではないが何度か似たような経験はある。四六時中一緒にいる夫婦でさえこれだから、子供や店員との間はどうだろうか? 個人企業ではなく会社では? 等々・・・・・。 なんとかせねばなるまい。との思いに至る。  
 松永会計売りの『会議方式』はこれがきっかけで始まった。規模の大小を問わず、必要と思う会社に提案し、会議を取り入れてもらいだしてから30数年を超えた。当時から続けている会社も数社ある。 自分一人では広げるのに限界があるとの思いから、職員を同席させ経験を積ませてみたところ、5~6年前から彼ら彼女らが立ち上げた社内会議が出始めるようになってきた。
 コーポレートガバナンスは大企業だけの話ではない。地域の中小企業にこそ必要だとの思いは募る。『会議方式』はその必要への解となりうると信じている。

【 コーポレートガバナンス考・Ⅰ 】H28.07

 昨2015年6月、東京証券取引所が「コーポレートガバナンス・コード」を導入。株主の権利確保や取締役会の責務など、社外との対話を促し経営者を律する指針を示した。時を同じくするようにガバナンスに絡む話題を提供する企業が出ている。 セブン&アイ、LIXIL, 三菱自動車、東芝、大塚家具、セコム等々。ことの発端は各社各様だが、根はガバナンスの欠如と事業承継に絡む不透明さが招いたもの。  
 コーポレートガバナンスの意味は「企業の不正行為の防止と、競争力・収益力の向上を総合的に捉え、長期的な企業価値の増大に向けた企業経営の仕組み」であるが、加えて「株主や銀行、債権者、従業員など企業を取り巻くさまざまなステークホルダー(利害関係者)が企業活動を監視して、健全かつ効率的な経営を達成するための仕組み」を含めて使われている。身近な中小企業向けに平たく言うなら「会社が市場や顧客などから信頼を得、成果を上げるためには、健全な経営活動のための組織作りに取り組みなさい」となる。
 冒頭の「コーポレートガバナンス・コード」は上場企業対象に、この仕組造りのために社外取締役を任命するようにと指示したものであり、背後には時の政府の強い要請があったと言われている。
 単純に上場企業対象だからわが社には関係ない・・・・などと思わないでもらいたい。大小を問わず企業の主要なステークホルダーである金融機関、取引先、従業員が抱く企業への要求に差はないからである。 厄介なことに、事例として挙げた企業は全て事業承継や後継者問題に端を発してコーポレートガバナンスを問われているからでもある。 『中小企業にとっての最大の悩みは後継者問題にある』は、多くに人々の共通認識となっている。 次号でも考えたい。

【 診察室 】H28.06

2ケ月毎の定期便で眼科医に通いだして8年が経った。長年の不摂生が仇となって発症した循環器系の疾患、派生して起きた眼の治療と観察のためである。歯科医以外の病院通いは初めての経験でもあり、様々な発見があった。以下はその個人的な感想。
中央の大型テレビを囲むように配置されたソファー。診察室に近いスペースには3人掛けの長椅子、目計算だが50人は楽に座れそうだ。時間帯をずらしての通院だが、待合室人口が30人を下ったことはない。本を読んだりテレビを見たり、ぼんやりと宙を見上げる者や隣同士のとりとめもない話声。まことに穏やかで病院待合室の空間とも思えない。自分を含め年配者は多く、推定平均年齢は60歳か? 話声の多くは付添人込みの二人ずれ。希に若者の姿はあっても何か場違いで影は薄い。まあ、齢を重ねれば目は悪くなるし、命にかかわる切迫性がなければ・・・こんなものかと妙に納得する。診察所要時間は概ね2時間半。この間の主なる行事は ①眼圧検査 ②視力検査 ③瞳孔へ点眼薬注入 ④ 瞳孔の状況検査 ⑤診察 ⑥次回診察の予約 ⑦会計 3分程度の診察以外はいずれも1分以内。当然のことながら私の名前は行事の都度診察室内に鳴り響く。絞り込んだテレビの音と囁くような話声の中で呼び出し声だけは元気がよろしい。聞き覚えのある名前もかなり呼ばれる。思わず読みかけの本から目を外すこともある。吉田茂氏には既に3名お目にかかっている。個人情報管理はどうなっているの?・・・などは余分なお世話か!
お詫びをしたい。前号の本欄で「言行」の『言』『現』にいれかわり意味不明の言葉となってしまった。己の不注意と粗忽さを思い知らされまことに汗顔の至りです。

【 君 子 】H28.05

表題の言には中国の古典の中でしばしば出会う。3月の本欄でも「君子は豹変す」を取り上げている。では、君子とはいかなるものか、が今回のテーマ。
例によって『国語大辞典』・・・・「徳行のそなわった人。学識、人格ともに優れた立派な人」とある。YAHOOをのぞいたら『君子危うきに近寄らず』を孔子が言った言わないで論争を起こしていた。 恐らく孔子は言ってないだろうが、こんな話は残されている。高弟であった子貢が孔子に向かって『君子とは何ですか』と質問した。これに対し孔子は「言葉で表したいところをまず行動で示し、それから言葉でその行動を表現するような人を君子という―先ず其の言を行うて、而して後に、これに従う―(論語)」と答えている。 いわば『不言実行』である。口より先に手足を動かせということ。そのくらいの態度で臨んで、ようやく他人は「あの人は言うこととやることが一致している」と評価してくれるのである。『現行一致』である。
ところで『現行』は言うまでもなく「言葉と行い」であるが、中国人は伝統的に、人物を見定めるとき、現行を判断の基準にするといわれている。 つまり、偉そうなことを言っても行動がそれに伴なっていない人物を中国人は認めないと言われている。 『本音と建前』を使い分ける日本人に、中国人がいまひとつ信を置かない理由も判る気がする。
見知らぬ国や土地で、どうすれば現地に人と理解しあえるか。・・・・くらいのことはお分かりだろうが、いつの世でも、どこに行っても、人として信用してもらえるには、『現行一致』しかないであろう。くれぐれも「口舌の輩」などと言われぬように気を付けたいものである。

【テレフォンカード】H28.04

倉庫を整理していたら 懐かしや・・・・古い雑誌に使いかけのテレフォンカードが挟まれていた。町中に公衆電話が溢れ、あちらこちらに電話ボックスがあったのは何年前だったのだろう。正確なところは不明だが、携帯電話の普及とともに公衆電話は回顧の風景となってしまった。近頃の若者は親指で会話をすると揶揄された携帯電話も今やガラバゴス呼ばわり。つまりガラケーである。そして世はスマホ一色となり乗り物の中では無言の乗客の指先が宙をはねている。世の変化は誠に目まぐるしく、追いつけなければ世間に取り残される。世の中の需要を満たすのが企業の役割とするなら、激しく移ろう世間に合わせて変わり続ける宿命を企業は負わなければならない。変わることの大切さでもある。
倉庫を整理している時 古い事務所新聞の束が出てきた。 創刊・・・と いうほどのこともないが第1号は昭和58(1983)年。題字は「松栄会ニュース」となっていた。昭和63(1998)年9月からは「松永会計事務所新聞」となり、平成15(2003)年1月に【松永会計新聞】となって現在に至る。連綿と書き続けて足掛け34年。などとわかるまでかなりの時間を座り込んで読みふけっていたようである。読んだ記事の中では経営者諸兄に対し、変化への対応をくりかえし迫っている。 先月の『君子豹変』「朝令暮改」もその流れである。変化をするは私の信条であり、今後も同種の記事を繰り返すと思う。
さて、テレフォンカードをどうしよう。持っていても使う機会は来ないだろうし、そもそも使える場所すらないのかもしれない。持ち続けて骨董価値が出るものなら それもありだが・・・・

【過ちを改むるに憚ること勿れ】H28.03

正確には『過ちては即(すなわ)ち改むるに憚ること勿れ』で、過ちがあったら、ためらうことなく、即刻改めることだの意味。孔子が門弟たちに諭した言葉である。この言葉には前置きがあり『君子、重からざれば即ち威あらず、学べば即ち固ならず、忠信を主とし、己に如かざるものを友とする勿れ』とも述べている。
君子は軽々しい振る舞いをしてはならない。威厳を失うばかりか学問すら進まなくなる。身辺には信義に厚い人を集め、自分より劣るものは遠ざけるべきだ。と かなり勝手な言い分だが、経営にあたる者には大切な心構えとして取り上げた。  孔子が説く『過ちては……』は、人間は過ちを犯すのものであるから、過ちを悔んだりする前にさっさと過ちを改めることが先決だ。の意味で使われている。
前段後半の『君子は……』以下の文意は、良い人に恵まれれば自分の過ちをきちんと指摘してくれる。それを素直に受け入れ即時に改めれば、人は自ずと大きく成長するものだ。の内容となる。
表題の同類語に『朝令暮改』『君子豹変』がある。前者は、朝出した政令を夕方には変更することを言うのだが、これが変じて安定しない、あてにならないこと。として使われる。後者は、君子が過ちを改めて善に移るのは、豹皮のまだら模様のように鮮やかに変化する。の意だが、転じて主張や態度ががらりと変わるこの無節操ぶりを非難する語として使われることが多い。共にネガティブなイメージで使われるが、変転目まぐるしい現代社会では必要な資質である。暮改・豹変ともにPDCAサイクルを機能させるためには必要なもの。但し周辺への心配りと丁寧な説明は不可欠となる。

【人的資源の活用】H28.02

平成23年開始の【松永会計・ドラッカー教室】は6年目を迎えている。
現行のテーマは『人と仕事のマネジメント』……  ヒト・モノ・カネに例えられる経済的資源の中で、最も活用されていないのがヒト。そのヒト(人的資源)を如何にして経済的な成果に結びつかせるかを、様々の角度から考えるのが内容。
ヒトには他の資源にはない優れた資質がある。調整し、統合し、判断し、想像する能力であるが、この優れた資質を利用できるのは本人だけである。働くか働かないかいかに働くかどれだけ働くか。全てを自らが決める。 最終的な決定権を握っているのは働くヒト(本人)だけであり、関わるあらゆる仕事において、ヒト(本人)は事実上絶対の存在となる。など 延々と続く。 まあ・・・組織(会社)が経済的な成果(結果=儲け)を得るのはその会社で働くヒト次第。 厄介なのは、成果を生むように働くか否かを決めるのは本人だけである。
成果を出すべく社員に働きを要求する経営者諸氏にとっては、まことに厄介な問題である。
私見だが、会社の良し悪しを測るものは、外見、経営者、決算内容ではない。そこで働く社員だと思っている。 同じ人が勤務先を変えたことで、見違えるようになった例をいくつも知っている。 導かれるのはヒトを作り出すのは会社。 会社が必要とする人材などいないと思うべきである。必要となるべく育つ可能性を持った只の人がいるだけ。 その只の人を会社が必要とするヒトに育てるのが会社であり経営者の力だと思っている。

【森鴎外 『阿部一族』】H28. 1

数日前 某誌のコラムで「森鴎外の『阿部一族』を読み・・・・・」なる文面に出会った。遠いかすかなそして何故か少しばかりキナ臭い記憶を呼び起こされた気がした。それを確かめたくて早速駅前のT書店に出向いた。広い店内のどこへ行けばよいのかとキョロキョロしていると、「お探しでしょうか?」と店員から声を掛けられた。書名を伝えるとカウンターに行きすぐに戻ってきて「店内3ヶ所にある」との言葉を添えてメモを渡してくれた。 階数・棚列番・棚番号が記されたメモから文庫本フロアーに向かい、列・番を頼りに目的の書籍を手に取った。
その場でページを繰り読み始めたが、一向にキナ臭い記憶は蘇らない。但し ルビだらけ注解だらけの文面を10ページほど読み進むうちに、《ああ、これは肥後の国での仇討ち物語》との記憶が戻り、買い求めて自宅で読み終えた。内容は単なる仇討ち物語ではなく複雑な内容を持っていた。
すっきりしないまま、再度読み返している際に『阿部一族』が10歳離れている長兄の蔵書であったことを思い出した。将来を嘱望されていた長兄は、陸軍士官学校在校中 演習時の事故に起因し17歳で世を去った。深い嘆きに暮れる母は長兄の思いが残されている部屋への入室を禁じたが、当時(7歳)活字に飢え ルビを頼りに手当たり次第に家中の本を読んでいた私は、密かに長兄の部屋に忍び込み蔵書を読みふけっていたことを思い出した。
『阿部一族』の書名がキナ臭い記憶となったのは、何故かこの本だけに2ヶ所の折り込みと書き込みがあった覚えと、母の深い嘆きが重なったせいだろう。   それにしても老成(ませ)てたガキ。

【変える】H27.12

今の仕事を始めたころ、手当たり次第にセミナーに参加した。それぞれが今日の自分形成に役立ったが、その一つに自分を変えることの大切さに気付かされたセミナーがあった。 紹介する。「誰もが他人との交流の中で相手に変化を期待する。しかし相手はその期待に応えることはない。為に変化をしない相手に苛立ち争いとなる。夫婦喧嘩、親友との仲たがい。どうするか」がテーマで二泊三日のセミナーは始まった。 三日後の結論は「変化を期待するのは相手にではなく、自分の心にである。自分の心は自分で決められる」 次いでの一言が効いた。「毎朝 目覚めて奥さん(旦那さん)と顔を合わせたとき挨拶していますか?」に 全員反応なし。「挨拶できていない人は、明日の朝 あなたから挨拶をしてください。それがこのセミナーの結論です。」
経営に関する相談は多種多様である。多くは社員に対する不満、自分の意にそぐわない社員の言動である。さりげなく話してみる。「言い方を変えてみたら…、自分の考え方を変えてみたら…」 週日を経て聴いてみる。「で、どうだった」答え「ゼーンゼン」。 再質問「考え方変わった?話し方変えた?」 「どうすればいいのかわからない」…… こんなやり取りが何回か繰り返される。 そのうちにやり取り自体がなくなってくる。 ある日唐突に社長が話し出す。「あいつ(社員A)何か最近変わってきて良くなったみたい」 「社長、何か変えている?」「特に…」 そこで社員Aに尋ねてみる。「社長変わった?」 「うん。変わった。話をよく聞いてくれる(等々)」 数字は正直である。やがて動き出す。 世に言う「利益は社長の行動を映し出す」 と。

【こども時代のバイト生活(後継者問題Ⅳ)】H27.11

職業軍人であった父親と暮らしていた横須賀市から、母方の出地である焼津市(当時は焼津町)に疎開したのが昭和19年の夏8歳の時。 終戦(自分史の中では敗戦)を迎えたのは再疎開先の瀬戸の谷村 (現在は藤枝市)の公民館で20年8月。 山を下り焼津に戻って来たのは5年生のとき。
既に母子家庭となっていた我が家で、小遣いは自分で稼ぐものと勝手に思い込んでいたので今でいうアルバイトをやっていた。手始めは5年生の冬休み。2人の叔父はいずれも手広く事業をやっていたのだが、下の叔父がやっていた鰹節づくりや蒲鉾などの練り製品工場の手伝いだった。 きっかけは同年の従弟ケイちゃんの誘いで始めた鳴門巻(今では焼津名産)製造の手伝い。その鰹節工場や練り製品工場には全国から職人が来ていて、方言丸出しで始まる喧嘩の通訳をさせられたのも今は楽しい思い出。 石巻や枕崎からくる職人たちの中に、自分よりやや年上の子供が何人かおり、職人とも思えずいくらかの違和感を持ったのを覚えている。今思えば、それぞれの地で事業を営む同業者が、我が子を修業にと預けたものだったのだろう。そういえば朝ドラ「あさが来た」の中で、主人公の弟が幼くして同業者のもとに修業に出されるシーンがあった。我々の先達は、後継者である我が子を鍛え上げてきたのである。忘れてはなるまい。
私に還る。以後手当たり次第にやっていたアルバイト。高校生時代には、冬休み=練り製品工場手伝い、夏休み=冷蔵倉庫会社(上の叔父の事業)手伝い、春休み=浜での魚仲買手伝いに収斂する。小学校5年以後高校卒業までの間、記憶の中の「やすみ」はすべてアルバイトに染まる。

【♪~ むーらの渡しのせーんどさんは ~♪(後継者問題Ⅲ)】 H27.10

(続いて・・・) 今(こ)~年(とし)六〇のお爺(じい)さん♪~・・・・。
戦後間もなくはやった児童歌謡。今も唄えるのは何歳位までであろうか?  日本人の平均寿命が男女とも80歳台入って久しい。 関与先企業の経営者諸姉諸兄のうち、表題の歌を知る人が何人いるだろうか。
「中小社長の廃業増加」 静岡新聞9月22日朝刊にこんな見出しがあった。 自ら幕を閉じる休廃業や解散は不況時に増える倒産とは性格が異なる。 高齢になった中小企業の社長が、後継者の不在を理由に廃業を選ぶケースが増えている。(帝国データバンクによると)平成26年度の休廃業・解散は2万4千余社。景気回復で件数としては前年比横ばいだが、特徴的だったのは休廃業・解散企業における社長の年齢で、70代以上が39.8%を占めている。 平成16年では26.3% 21年の31.6%と比べても高齢社長の比率は年々増加し「後継者難による廃業が目立つ」(同社)。
記事では、中小企業は子が後を継ぐことが多いが、子の数が減り、その子も都会で就職し事業の承継をしない。事業不振から退場の道を選ぶのはやむを得ないが、中小企業庁は「高い技術が失われ、熟練した従業員がいなくなる」と懸念を示す。 また、町工場などの技術や雇用が失われれば地域経済の足腰が弱まりかねない。企業の合併・買収(M&A)を使った事業継続を促そうと商工会議所や地銀が縁組仲介に力を入れ始めている。 と 続く。最近扱う事業再生やM&A案件などでも、事業承継は重要なファクターとなっている。

【人材は、いる(後継者問題Ⅱ)】H27.09

経営者は企業と共に育つ。動機はどうであれ企業経営に携わった経営者は、関わり始めた企業が当初から変動のないままで現在に至っている例はないでしょう。大きく育ったか、規模は同程度であっても内容的には大きな変化があって生き残ったはずです。それ以外は倒産か廃業であり貴方の周辺にもあったことを思い出していただきたい。  経営を始めて5年、10年、20年と年月を重ねる中で、経営トップとして数限りない決断と実行を重ね苦難を乗り越えて今日があるはずです。 その年月が経営者であるあなたを育てたのです。
「運に恵まれて・・・・。多くの方々に助けられて・・・・。」成功者と呼ぶにふさわしい経営者の方々の話は共通しています。 これを聴いて単なる謙遜と受け取る経営者はいません。 経営者の方々とこんな話を時々します。 (私)「貴方に懸っている保険のことを考えたことありますか? (時にはえげつなく)死ぬことを考えたことありますか?・・・」  それほどの思いを重ねて迎えたのが今日の我が社であり、企業トップの社長としての貴方なのです。
後継者問題とは、貴方が乗り越えてきた多くの苦難や生きざまの成果である我が社の経営を、貴方の経験を持たない貴方以外の誰かに引き継ぐことなのです。 企業は多くの人々の協力があって成長をします。人材(あるいは将来の人材)の協力がなければ我が社が今日を迎えることはなかったはずです。人材となるべき人物は周辺に必ずいます。見出して次世代の経営トップに育て上げるのが貴方の役目です。いないはずはない。見出せない方に問題がある。と私は思う。

【後継者問題】 H27.08

ゴーイングコンサーン という言葉がある。会計の世界で使われる言葉で、日本語訳では「継続企業」。
人は生まれれば必ず死ぬ。けれども企業(会社)は一度生まれれば生身の人とは違い半永久的に継続するという仮説。   なぜ??・・・  社会が必要とする財物を提供するのが企業の役割であり責任と言われている。だから企業が社会へ対する責任を果たし続ければ、この世がある限り企業は永遠に不滅。という論理。
何れは死ぬ人間が不滅の企業を維持するには、次に経営する人への引き継ぎは避けて通れない。後継者問題である。  いま、日本の中小企業は年々かなりの勢いで減少を続けている。最大の原因はこちらも後継者問題。はやりのM&A(買収や合併)の声がかかるのは、財務内容がかなり良いとか企業価値が認められる企業のお話で多くの中小企業には縁がない。残された選択肢は我が子や血縁者、あるいは従業員への引き継ぎ。人材がいないはよく聴く話。 初めからその気で育てたなら別だが、キャリア官僚やエリート社員になった我が子に家業を継げと言えるか?  世の人材は一流企業に集まり従業員には人材がいない。と 勝手に思い込む。  違う人材はいる
企業(会社)で成果を残す人物を人材と定義すれば、人材はその組織によって育てられる。人材 はいないのではなく、見出し育て上げる力量の問題。人材となるべき人物は必ずいる。よく観察して頂きたい。見出し育て上げるのが経営者の責任。 人の特性はそれぞれ。我が身に比べれば長所はわかる。 残るは育てるだけだと私は思う。あとは任せて育てる!任せれば育つ!。。。

【一個作り】H27.07

『一個作り』なる言葉を知った。メーカーである某社の≪月初会議≫に参加したときである。社員20名余のその会社では、毎月の操業初日に全社員を集め、就業前15分ほどの時間の中で、社長が前月の売上実績と発生したクレーム内容を報告し当月の売上予定を告げるのが恒例となっている。表題の言はクレームの発生原因に話が及んだ際に発せられたものだ。目の前の仕事は一つを着実に終わらせ、終わったなら次の一個の作業をすればよい。理由は終わった仕事を引き継ぐ次なる者も、物は一個だけしか作れないからである。まとめて作っても意味がない。それどころか、周辺に余分なものが溜まれば注意は散逸し間違いを起こしクレームの基になる。 概ね、そのような意味合いからの話である。
『一個作り』に感銘を受けた我が身はどうかと言えば、一個作りどころか「同時作り」の山にいる。 で、一個作りへの転換を試みたが長年の習性を正すのは中々難しく、何度試みてもうまく行かない。  事務所スタッフの仕事ぶりを見たところ、着実に仕事を片付ける一個作り派と同時作り派がいる。結果を評価すれば明らかに軍配は一個作り派に挙がる。再び我が身に戻す。考えた末、『同時』をリストアップし、一仕事終わる毎にリストの消し込みを試みた。一つが終わらない限り他の仕事には手を出さないルールである。何度か挫折は味わったがどうやら行けそうである。やってみて気がついたことがある。集中度が違ってきた。よそ事は考えずに仕事に取り掛かるせいか結果はまことによろしい。
一個作りに挑戦あれ。

【おのれよりも優れた者に働いてもらう方法を知る男。ここに眠る】H27.6

今日のアメリカを築き上げた功労者 鉄鋼王アンドリュー・カーネギーの墓碑の残されている銘です。組織とはいかにあるべきか、経営とは何をなすべきか。を教えています。
企業経営の在り方は、企業組織を立ち上げこれを経営して成果を挙げることにあります。まことに単純にして明快だが成果は思うように挙がらない。 と、ぼやく世の経営者諸氏に対するメッセージでもあります。 我が社の目的を明確にし、何をなすべきかを組織の人々(社員)に教え、目的に合わせて適切に仕事(社員)を組織するなら、誰でも目的に沿って為すべきことを為し得るようになる。 社員を動機づけ彼らの献身と力を引き出す。  彼らが最善を尽くすか、あるいは適当に仕事をこなすだけに終わるかを決定するものが経営である。と 墓碑銘には刻み込まれている。
「我が社には人材がいない」はよく聞く台詞。 人材は稀であり世間が捨ててはおかないから手に入らない。 従って成果を得るには、凡人の強味を引き出して能力以上の力を発揮させ、優れた仕事ができるようにするか否かにかかっています。「凡人をして非凡なことをなさしめる」が経営であり経営者の力量です。「ないものねだり」は止めて社員に目を向けましょう。 何をなすべきかを社員に示し、「任せて育てる」に貴方の器量がかかっています。事業の成否がかかっています。任せたままでは「丸投げ」です。育てることを忘れていませんか。逆に「何でもやりたがる症候群」に取りつかれていませんか。 探している人材人物は貴方の周辺に必ずいます。

【天下は広く 人物の多きに、材無しと言う者は、我信じざるなり】H27.05

「世の中はこれほど広く、そこに住む人間も多い。それなのに、人材がいないと嘆く声があるが、私には信じがたいことだ」   中国北宋の政治家 王安石『材論』からの引用。
「人がいない 人材がいない。とはよく耳にする言葉だ。果たして本当にそうなのか疑問だ」の意。  自分の周辺をよく見れば、優れた才能や能力を持つ人物は必ずいる。そのような人物を探し出す努力をしているかどうか。一度自分に問いかけてもらいたい。・・・平たく言えばこうなります。
人材に関して似た言葉を関与先の経営者諸氏から聴かされることが多い。人材は自らが探し出し、自らが育てることが本筋です。 案外身近に玉は隠れているものです。いないようでいるのが ひと(人物)です。私の乏しい経験からでも言えることです。成長過程にある若い人を、手塩にかけて育てるという楽しみを自分で奪っていないかどうか、ということも 問いたい。ご自分の若かりし時代を知る人にお尋ねになれば、貴方が視る若者像にダブっている事を知るはずです。
成長過程にある若い人たちから学ぶ柔軟な姿勢があれば可能です。彼らから学ぶためには、ご自分の考えを先行させず聴くことです。彼らの言葉から発見することです。ご自分の考えは彼らから全てを聴きとった後に発しても間に合います。
人物は貴方の周辺に必ずいます。探し出し、育て上げることに貴方の器量がかかり、世間の評価があります。 いるのに「ない者ねだり」は止めることです。

【顧客の慾求・・・基本中の基本】H27.04

「リスケ」なる言葉が聞かれるようになって何年たつだろう。 銀行からの借入金の返済条件 (スケジュール)を変更する(リ・スケジュール)ことである。 リスケのリスケすらある。 最近になって増えていると の話を多くの金融関係の人たちから聴いた。それだけ現況が悪く、リーマンショックの傷跡が深刻であったこととなるのだろう。
リスケに関わる業務支援依頼が何度かあった。計画策定の支援と金融機関との交渉、その後のフォローをする。  作業中に気づいたことがある。経営者は己が為すべき事を見失っている。基本を見失っている。
何事にも基本があり、事業といえども例外ではない。自らが生み出したモノやサービスを購入してくれる顧客があって事業は成立する。 「そんなことは百も承知。お客様は神様だ!」「我が社が何をすべきかを決定するのは顧客だけである」等と言いながら、現実は我が社が売りたいものが先行し、顧客は欲しがっているハズだ、安いから売れるハズだ。等の勝手な思い込みが現実にある。 利益が欲しい、売上を取りたい、との思いが何かを狂わせている。
前月のコラムをそのまま引用する。  我が社の事業はなにかを決定するのは顧客の欲求である。  お客さんが必要とするモノを必要とするトキに届ける。  基本中の基本である。  我が社の顧客が欲しがるものは何か?  目的・目標は何か? 我が社が為すべきことは何か? をである。
顧客の欲求自分の欲求に変質していないか?・・・考えて欲しい

【ハタラク(働く)ってことは・・・ハタ(周辺)をラクにすること】H27.03

最近聞くことの多いラジオでのコマーシャルフレーズ。「働くってことは自分のためではなく、自分以外の誰かのお役立てになること・・・・つまり、自分以外の他の人を楽にさせるために自分が何か  をする」の意味。 その成果を必要とする誰か(他人)のために行うことを働くと言うのであって、自分のために行うことは働くとは言わない。それは『勉強』『趣味』の世界である。
商売はなにかを必要とする顧客の欲求があってこそ成立する。 お客さんが必要とするモノを必要とするトキまでに届ける。 それを実現すれば商売は成功する。 顧客がまだ気づいていない欲求を生み出せば大成功も視野のうち。ITやネットの世界ではよくある成功物語だ。事業は この顧客の欲求からスタートするのだから、すべからく成功は収められる。・・・筈である。ところが現実はそうならない。それは顧客の欲求の読み違え。あるいは顧客の欲求が何時か自分の欲求に変質したのか・・・いずれ吟味したい。
社長は顧客の欲求の意味合いを社員に日頃から語りかけているか? 我が社が為すべきことは何か。目的・目標は何か? を である。どこでも社員は会社のために懸命に働いている。会社が良くならなければ自分も良くなれないことを知っているからである。社長の思いが社員に届いていなければ、社員は社長の思いとは真逆のことを懸命に働く、かもしれない。【気働き】という言葉もある。人に言われたことだけをやるのではなく、周囲に目配りをし配慮することである。まさに、ハタをラクにすること。社員をどこまで教育できているか、である。

【ママ! なんでお正月っていうの・・・】H27.02

ずれているのは承知のうえでの話題だが、正月の街中ですれ違いざまに小耳にはさんだ子供の疑問。どうママが答えたかは聞こえなかったが、気になったので・・・・。
例によって小学館『国語大辞典』だが、「①一年のいちばんはじめの月。むつき。いちがつ。」と、まことにそっけない。  そこで、ネット頼り・・・・【意味】正月とは、一年の最初の月。一月。特に年頭の祝いをする三が日から松の内(元日から七日、もしくは十五日まで)をさす。  引き続いて【正月の語源・由来】正月の語源は、事物の起源や語源・語議を解説した室町中期の類書「あいのうしょう」の説が有力とされる。それには、「政治に専念した秦の始皇帝の降誕の月をセイグヮツ(政月)と言っていたものが、正月と書かれるようになりシャウグヮツと改められたとある。注として(正月の旧かなは「シャウグヮツ」)。以上は『語源由来辞典』。  知らなかった!!!   ついでに『実用日本語表現辞典』では、正月【読み方】しょうがつ・しょうがち。 一年の初め。とりわけ、新年の祝いの期間を指すことが多い。『沖縄大百科』【読み方】そうぐゎち。 以下略。『暮らしの歳時記』【正月行事の由来と過ごし方】からは、大掃除・門松・注連縄(シメナワ)・鏡餅・年越し蕎麦・除夜の鐘・初日の出の曰く因縁故事来歴。「このようにして年神様をお迎えしたら、おもてなしをしないといけません」としめくくり、さらにはお年玉やお年賀 に至る。まことに我が国のお正月は奥が深い。     極めるにはあと幾十年のお正月が必要か・・・・

【為(な)さざるなり。能(あた)わざるに非(あら)ざるなり。(孟子・梁恵王章句)】H27.01

「できないということは、できないのではなく、やらないということだ」今年の言葉としてお送りしたい。
戦国の智将武田信玄の至言 『為せば成る、為さねば成らぬ成る業を、成らぬと捨つる人のはかなさ』は、孟子のこの言葉を典故とする。 この『為せば成る』は、広くひとの知るところである。人間にとって、できないということは、心ができないと決めたときに、できなくなる。が正しい理解・・・・人の嘆きは信玄の昔も今も変わらない。
関与先企業と共に成長する。は 松永会計の理念である。 最近になり、関わることが多くなった経営改善計画策定とそのフォローは、事務所理念の実現に向けての仕事と位置付けている。 その中で多くの経営者諸兄が、計画され予定されている行動の手前で立ち止まり、迷いや戸惑いを見せ行動に入れない。 或いは入らない。行動の向こうに成果があるにも拘らずである。 その後に続くのは言い訳の山である。 理由にならない理由。 苦しいだろうなあ・・・は同情する当方が抱く思い!  行動の先には成果があり、変わりだす我が社がある。 やろう! 必ずやり抜こう!  行動の手前で躊躇する諸兄に表題の言葉を贈ります。
ついでにもう一言 「臆病でためらいがちな人間にとっては一切が不可能である」(サー・ウォルター・スコット 英国の作家)

【顧客第一と利益】H26.12

個人法人を問わず企業経営者であればよく耳にする言葉。商売はお客さんあってのもの。
こんな言葉でも語られる。曰く「プロダクト アウト ではなく マーケット イン」。 作ったモノを売るのではなく、市場が欲しがるものを作ればよろしい。まことに【売れてナンボ】が商売である。
月3回のペース。事務所で行うドラッカー教室のテーマは「企業は自らではなく外部、すなわち顧客のために成果を生み出す経済的な機関である」。 ①顧客は誰?  ②顧客の欲求は何? ③その欲求を満足させるモノを世に送り出せ  ④利益は①~③が正しければ生まれる。  大いに正しければ利益は大きくなるし、ソコソコならば利益もまたソコソコ。間違えれば利益は出ず あえなく倒産退出となる。 利益は事業の目的とは成り得ない。 事業活動が正しく行われたかどうかを判定する究極の基準に過ぎない。 事業の成否は顧客の欲求が基本にある。
最近、経済見通しが悪いせいか売上や利益確保に関する話を聴く機会が多い。 業況や我が社の内実など善く研究分析されている。が、幾つか気になることもある。 総じて絞り込みが不足しているようだ。あれもできるし、これもできる。あれもやりたい、これもやりたい。研究熱心が為せることと思うが、絞り込みが大切。選択と集中こそ事業成功のキーワードだ。
選択と集中に必要な「目標設定が小企業では容易である。単純性こそ小企業の強みである」(ドラッカー)。
選べる顧客は小さいし、できることも少ない。だから 選択は容易。あとは集中するのみだ。

【善(ヨ)く人を用(モチ)いる者は下(シモ)と為(ナ)る】 H26.11

上手に人を使える者は、決して偉ぶったりせず、腰の低さが身に備わっているものである。
この言葉は『老子』の「不争の徳」といわれる有名の四つの言葉の中の一つである。「不争の徳」とは、自分の行為によって、相手の能力を最大限に活かし利用することを言う。 ひとを上手に使う者の基本的な姿勢は、ひとの先頭に立ってあれこれ指図したりせず、ひとの下手(シタテ)に出て、相手の発奮を巧みに誘い出すことにある。 自ら先頭に立ち、何もかも おれが!おれが! では、善く人を用いたことにはならない。

「善く戦う者は武ならず」                                        立派な武人は、むやみに武勇を誇ったりせず、人前で強がったりはしない。
「善く戦う者は怒らず」
戦さ上手といわれる人は、安易に挑発に乗ったりせず、争いを避けることに腐心する。
「善く敵に勝つ者は争わず」
戦いに勝つことをよく知っている者は、むやみに喧嘩腰になったりはしない。

表題を含めての「不争の徳」だが、人生の達人となるための行動指針とせよ。と説いている。何れも言葉としてはやさしいが、いざ実践となるとむずかしい。
ひと(他人)を使うことには、それなりの努力が必要であることを改めて知ってもらいたい。

【逡巡(シュンジュン)する】 H26.10

意味は、決断できないでぐずぐずすること。 ためらう。しり込みする。イメージ的にはあまりよろしくない言葉である。  企業トップが経営上の意思決定に当たり示す態度である。親愛なる社長さん方も例外ではない。 グズグズとなかなか決めない。 いったん決めたことをひっくり返す。 ダンマリを決め込む。 先延ばしする  等々。その場に絡む者は大変だ。会合終了後のヒソヒソ話。「また決まらないの!」「いつになったら決まるんだろう」「うちの社長は慎重だから(真意はグズ)」とさんざんである。 そんな貴方に社長さんは何故ゆえ逡巡するのか? を・・・・・
社長命令には従わなければならない。反対であってもである。 例え社長以外の全員が反対であってもである。 社長命令に従えなければ会社を辞めなくてはならない。それが会社に働く者の在り方だ。だから、社長は決めることに逡巡する。  しかし反対ならば反対と言えばよい。但し社長命令には従う。それがルールである。反対を受けて社長はさらに逡巡する。
事業とは、持てる資源(ヒト・モノ・カネ) を使って(仕入・生産等) 売上を取る。言い方を変えれば、持てる資源という現実を投じて未来という売上を取りに行く。それが商売である。未来がいかに不確実かは、最近の天変地異や世界で広がる地域紛争が何時我が身に降りかかるかを考えれば容易に想像がつく。考え出したらきりがない。だから、社長は逡巡する。
企業のトップと他の者(例えナンバー2であっても) との間にある巨大な落差。と思う。

【企業の目的・・・それはただ一つ 顧客の創造である】H26.09

表題はお馴染 ドラッカー が繰り返し主張する有名なフレーズ。 企業(皆さん方の会社・事業を意味する)とは何かを理解するには、企業(我が社)が何のために存在するかを理解すればよろしい。 我が社(企業)は何のため(目的)に存在するか・・・で、表題に戻る。
即ち 顧客の創造である。我が社の利益は何によって生み出されるか。それは我が社が世の中(社会・市場)に送り出した品物(財)やサービスを世の中の人たち(顧客)が買ってくれること(売上)によってしか生み出されない(顧客の購買行為によってしか利益は生まれない)。 世の中の人たち(顧客)が欲しがる(欲求する) 財やサービスを我が社が世の中(市場)に送り出せれば、どんどん売れて、結果としてどんどん儲かる(利益が生まれる)。 我が社の財・サービスを欲しがる顧客を探し出す ・場合によってはそういう顧客を作り出す(顧客の創造)ことが我が社(企業)の目的だよ。と いうお話。
こんなことも言っている。「社長がどう考えるかは自由だが、利益は企業の目的にはなりえない。利益が持つ意味は、市場に送り出した財やサービスが顧客をどの程度満足させたか。 企業における意思決定が顧客の欲求にどの程度マッチしていたか。 その妥当性の尺度に過ぎない」 と。我が社の本当の顧客は誰であるか?送り出した財サービスが欲求を満足させているか? しかし現実にあるのは、提供側(企業側)の事情であり論理に過ぎないのが実情。
だから、チャンスはある。
今からでも遅くない。我が社の顧客は誰であるか? 財サービスが顧客の欲求を満足さているか?

【知る者は言わず、言う者は知らず(老子)】H26.08

『本当に物事や道理を知る者は、あれこれ口に出して言わない。 あれこれ口数の多い者は、実は何も知らない者だ』 が、その大意。  老子には別の言葉も残されている。『知らざるを知るは上なり』 自分でよく知ったうえで、なお知らないと謙虚なる心を持てばこれに勝ることはない。と説いている。 衆知を集め物事をなすには、謙虚さを身に備えることが必要。口達者ではなく聴き上手になることが第一歩なのかもしれない。
中国の古典には、言葉の大切さを述べているものが多くある。お馴染の孔子から拾えば、『下問を恥じず(論語)』(自分で知らないこと解らないことを目下の者に質問することを恥とはしない)。  『忠言は耳に逆らえども行いに利あり(孔子家語)』(真心のこもった忠言は、悪意はなくても とかく耳触りのよくないものだ。が、こころを広くして素直に受け入れれば、必ず良い結果が得られるものだ)など。
仕事柄 役員会や経営会議等に参加する機会を多く持つ。そこでは様々な言葉が行き交うが、『言多くして意伝わらず』状況をみることが多い。 言葉は多くするほどその意味するところは伝わらなくなる。まず聴くことからスタートすれば・・・・と思うのだが・・・・
本欄では聴くことの大切さを書いてきたし、機会があればそのことを説き続けてきた。これからも続ける。それが我が身の役割。

【やっていいこと・やってはいけないこと】H26.07

小学校2年、横須賀の家から焼津の母方の実家に引っ越す(当時の言葉で疎開)直前、母親と二人きりになった時「そこにお座り」の始まり。悪さ、し放題の自覚から正座して身構える私に対し「話すことがあります。お前ぐらいになれば、人としてやっていいことと やってはいけないことは解っているはずです。」と 続き・・・・それでおしまい。何か拍子抜けの思いだったが、評判のいたずら坊主(自分ではそう思っていなかった)だった私が見知らぬ土地で辛い思いをしないようにとの親心だったと思う。 それ以降の人生訓として私の中で生き続けてきた。人とは解っていながら、やっていいことを行なわず、やってはいけないことを行なってしまう生き物か?とつくづく思わされることが多く、自戒を込めながらも何か少しさめた見方もしてきた。
現在の仕事に入り、経営者の方々と向かい合う中で、今更ながら母親の言葉を思い出す。やらなければいけないことを実行せず 悶々とし、行なってはいけないことを行なって苦しむ状況を如何に多く見続けてきたことか。 「やっていいことはやろうヨ ! やってはいけないことはやらないデ」と言い続けるのが私の役割。百に一回。千に一回でも役に立ててもらいたい。最近知り合いとなった僧職の方にこの話をしたところ「人は誰でも行わなければいけないことを行えず苦しみ続ける。それを煩悩と言います」と言われた。 “人間らしく”と思う。

【ゴーイング・コンサーン】H26.06

老舗企業とは創業何年くらい?・・・・・ 有名なところでは西暦578年創業・奈良時代から 1436年続いている大阪・天王寺の「金剛組」。 創業400年超で知られた会社では「住友金属鉱山」421年、「養命酒」409年。 お近くでは「松坂屋」創業400年。 現代の有力企業では「キッコーマン」381年。「武田薬品工業」230年。 あの「東芝」は創業136年である。
先日、ひょんなことから松永会計創業 (実に34年前)間もないころの電話帳が出てきた。25 の顧問先企業名が記されていたが、その中で今もお付き合いが続いている企業は6社。 実に19 社が存続していない。 率で言えば76%が消えていた。 消えた事情はそれぞれだが、それにしても 4分の3が消えていることへの衝撃は少なからずのものがあった。 巷間 会社20年説は喧伝されてきたが最近では10年説が主流になっているとか・・・・。
貴方の会社は創業何年???表題は『会社の永続性』を意味する会計業界の用語。 人は時が来れば必ず死ぬが会社は人間と違って「死ぬ」ことは予定されていない。 社会が必要とする財やサービスを生みだし続ける限り会社は生き続けることができる。 しかし、会社を束ねる人間=社長が判断を誤れば、あっけなく消滅する。 一人の人間が誤りなく会社をリードできるのはせいぜい20年。それが会社20年寿命説。 金剛組の凄さは100人に近い歴代トップの一人でも判断を誤っていたら今に存在はなかった。  事業承継の難しさである。

【仕事と 趣味と・・・・】H26.05

先の休日。家人の「雨が降りそう・・・」との冷やかしの言葉を背に、家周りの草取りをした。無理もない。現在の家に住み始めて30年余り、草取りをした記憶はない。
きっかけは前夜に見た古いアルバムに残されていた横須賀時代の庭を写した写真。それを見ながら思い出したのは母親の言葉「お仕事やってね」。  小学校(国民学校??)に通い出した頃だが、学校から帰ると言われた言葉だった。 「お仕事」とは草取りのことだ。 広くもない我が家だったが表と裏にそれぞれ庭があり、何故かよく草が生えた。「お仕事」が終わるとお駄賃として〈お焦げのお結び(懐かしい)〉がもらえた。 言うならば〈お焦げのお結び〉目当ての「お仕事」だ。 但しこの「お仕事」は家に父親が居る時はなくなる。 海軍の軍人だった父親は一旦艦に乗れば半年 一年と帰ってこない。 農家の出自らしく土いじりが何よりの趣味で家にいる間よく庭の手入れをしていた。 他方、商家の出である母親は庭いじりは苦手だったのか〈お焦げのお結び付きお仕事〉と相成ったらしい。 そんな思い出がきっかけとなっての草取りだった。 久しぶりに帰ってきても子供を抱きもせず趣味の庭いじりを始める父親(母親の愚痴)と、母親の換わりにお焦げのお結び付きお仕事をする小学生の私。どちらも同じ草取り 庭いじりだ。 他人の願いをかなえるならお仕事。自分の願いをかなえるなら趣味。そんなことをぼんやり考えながらの草取りだった。  さて、今夜のお駄賃はなにか ナ 。

【金融機関との新しい時代】H26.04

「黒字倒産」最近ではあまりお目にかからない言葉ですが、10数年前のバブル破たん当時には毎朝の新聞紙上を賑わせていたものです。 利益が出ているにもかかわらず手元の資金不足から事業継続ができず あえなく倒産に至るケースです。 ところが最近ではこの種の話を聴くことがなくなりました。 何故なのだろう・・・・
以下は松永流の解釈です。 第一には、企業、特に中小零細企業に対する金融機関の融資判断が大きく変わったことが挙げられます。 不動産担保主義からの脱却です。 企業の融資申し込みに対し、今までは融資額に見合う不動産担保の提供要求が行われてきました。 企業に担保がなければ個人不動産が要求されていました。 それが、企業の収益力で判断するように変わってきたのです。 大賛成です。 企業は将来のリターンを狙って目前のコストを賄うための資金投入が先行し、資金が不足すれば自己金融の手段を持たない企業は外部(金融機関)に協力を仰ぐ。 当たり前の構図です。 第二に不動産担保に変わる企業信用力判断に財務報告の内容を重視するようになったのです。 不確実な将来のリターンをどう読み取るか。 そのためには企業の実態をより正確に映し出す決算書が必要です。 そういう時代に入ってきました。 近時、関与先企業が変わりだしているという実感があります。 皆さん方が赤字決算を恐れなくなったことです。 かつては「少し何とかならないか・・・」などの会話があったものです。  新しい時代への対応と覚悟 です。

【自らをマネジメントすることは常に可能である】H26.03

タイトルはドラッカー教室今回シリーズ「経営者の条件」の前書きからのものであるが、隠されたテーマは 訳者(上田淳生)あとがき にある。本書は、普通に働く人たちのための本である。経営者のためだけの本ではない。現にこの本の中で、上司に命じられたこと以上の仕事をする人はすべてエグゼクティブであるといっている。そのため本書では、executiveは経営者ではなくエグゼクティブと訳した。と ある。

8ヶ月を掛ける今回シリーズも3月が最終月。我がスタッフ諸君にとって はたして隠れテーマは実証されるのか? ・・・・   徐々にではあるし、勿論 個人差はあるのだが、それは見えだしている。 知識として受身一方であったドラッカーが、スタッフ諸君自らの行為や思考へと結びつき、或いは業務を通しての経験に絡めて語りだされるようになった。 つまり、監査等を通して関与先で起きた変化を、ドラッカー的な経営に照らせばどのような意味を持つか。である。 エグゼクティブ(狭義では経営者)は自らの組織(企業)に対し成果をあげさせる責任を持ち、それにより報酬を受ける。 企業の成果は利益で測定される。 利益は測定値であり目的ではない。 成果をあげるために特別な才能や適性、訓練は必要としない。 いくつかの簡単なことを行えばよい。と、ドラッカーは主張する。 周辺を見回してもらいたい。 成功する者あり、失敗する者もある。 そこには人間力とは言えない何かがある。  それを見続けたい。

【選択と集中】H26.02

成果をあげるための秘訣は集中である。と、成功した多くの経営者は言う。 外部から見れば八面六臂の活躍ぶりに見えても彼らは言う。 成果をあげるには、最も重要な成すべきことを選び、しかも一度に一つのことしか行ってはならない。と・・・
経営の現場では、行わなければならない重要なことが無限に生まれてくる。 使える時間は限られている。しかもその貴重な時間の大部分は、取引先・銀行・社員等々が奪い自分の時間ではなくなる。 時間の収支は常に赤字となる。それも大赤字だ・・・・  だから何かを選び、そこに集中しなければ成果は得られない。 それが成功した多くの経営者の言い分だ。 皆さん方から自社の経営のあり方に関する話を伺うことがある。事業承継や事業転換、あるいは資金面から事業計画の見直しなどだが、そこでも同じことが起こる。 成すべきこと。やらなければならないことはたくさん抱え込んでいる。 話を進めると更に増えてゆく。 当然 そこには優先順位をつけなければならないが、皆さん方が抱える最優先順位の事柄は常に複数であり、それも五つ六つとあり同時進行を考えている。
そんな時の私からのお勧め「何でもいいから自分が一番行いたいことから始めたら・・・。 但し一つだけ!」その後の推移をみると、どうも同時進行への思いが優先するらしい。そして経営改善への思いはいつか薄れてゆく。
まことに【選択と集中】である

【禅】H26.01

【禅】という言葉を初めて知ったのは小学校の2年の時(昭和17~8年)。活字に飢えていた小生意気な子供は家中の本を片端からの読みまくり状態だった。そんな子供の目に留まったのが吉川英治の「宮本武蔵」。
分厚い本を一気読みして、さらに2~3度繰返し読み返した覚えがある(当時の書籍には少し難しい漢字にはルビが振ってあった)。 その小説「宮本武蔵」の中で、剣と禅とは一致するという文脈にいたく気を引かれ【禅】とはいかなるものかと家人に聴きまくり困らせていた。(ネ- 小生意気な子供だったでしょう)

経営の世界で【禅】が大流行である。経営破綻が囁かれた日本航空(JAL)を会長就任から僅か1年で黒字化し、とかく問題視されていたJAL従業員の意識改革まで成し遂げた京セラ創業者の稲森和夫氏。 独特の経営哲学に流れる【禅】の教えを通した"稲森流”経営が多くの経営者の心に響いたのが発端だと喧伝されている。 さらには能力主義全盛の時代に「心の経営」を説く稲森和夫氏を慕う中小企業経営者の会の”盛和塾”会員は8,000人を超えているというのもその証。  "稲森流”経営の主張を私流の解釈ですれば『事業の目的・意義を明確にし、具体的な目標を掲げ、強烈な願望を心に抱き、その実現に集中する』
なにか、ドラッカーに似ていない?

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